買ってよかったもの

物ではないため、お題に沿っていない

気がするが、

「奨学金返済レーサー」と名乗っているので

お許しいただきたい。

 

 

 

私は地方の大学、大学院で

学生生活を送ってきた。

実家から遠い学校であるため、

大学の近所で一人暮らしをしていた。

 

授業料は親に払ってもらい、

生活費は自分で用意していた。

しかし、全ての生活費をバイト代では

賄いきれなかったため、

残りを奨学金で補完していた。

 

私が通っていた大学は、

私と同じように地元から離れて

一人暮らしをする学生が

全体の8割以上を占める

大学だった。

 

入学前に私が

国立の大学に対して

抱いていたイメージは

授業料が比較的安いため、

それほど裕福でもない家庭の子が

集まるイメージだった。

 

そのため、一人暮らしをする

学生の多くが

自分で生活費を

賄うだろうと考えていた。

 

しかし、実際は

生活費、授業料の両方を

保護者が負担し、

学生本人は遊ぶためのお金さえ

稼げばよいという

学生が多かった。

つまり、奨学金を借りていた学生は

かなり少なかったのだ。

 

普段はそんな学生たちに

何も思うことはなかったが、

疲れてくると、つい、

「なぜ、他の者は親の金で

 ふらふら遊んでいるのに、

 私は生活のために働き

 最終的には借金にまで

 追われなければならないのか。」

と思うことが度々あった。

 

そんなことを思う自分が嫌だったが、

そんな感情を抱いた相手に

「バイト代、何に使ってるの?」

などと無神経に聞かれることも

気に入らなかった。

 

私にとって奨学金は、

大学生活を送らせてくれた

恩人のような存在であり、

卒業後の自分の死を

宣告してくる

死神や悪魔のようでもあった。

 

 
 

 

奨学金が入金されたことを

通帳で見るたびに

眉間にしわを寄せていた私だが、

これを受給したことで

早くに得られたものがあった。

 

それがお金に対する真摯さだ。

生活費の出所がバイト代しかない

私にとって、

稼ぎがなくなってしまうことは

大学生活の終了を意味する。

 

そのため、私はこの頃より

貯金が習慣づけられた。

 

休みがあれば、

働くことに時間を割いた。

 

また、毎月、いくら使ったかを

事細かに記録し、

無駄使いができないような

システムを作ることで

1円単位で貯金した。

 

さらに、研究室の配属で

勤務時間が短くなることを予期し、

それに耐えられるだけの

貯金も作った。

 

この生活を続ける中では、

やはり大学の裕福な仲間の

経済状況が脳裏をよぎって、

自分がやっていることに

虚しさを覚えることもあった。

 

しかし振り返ってみると、

この奨学金があったことで

お金に対する真摯な態度と

シビアな目を

養うことができたといえる。

 

返済はまだ始まっていないが、

私は数百万円で奨学金を「買った」。

 

この買い物で、

私は大学生活を送ることができたし、

お金がないことがどんなに

惨めなものかを知ることもできた。

 

私は他者に安易な気持ちで奨学金を

借りることを決して勧めない。

しかし、これを借りたことで

お金に対して真摯な目を向ける

良いきっかけになったのではないかと

考えている。

 

 

 

 

 

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