麦秋の 中なるが悲し 聖廃墟
              水原秋桜子​



    

​今日ボート空を見ていたら
ふと原爆ドームに行けてないな
と思いました。
そこで上の句を思い出しました。
この俳句は、麦を刈る季節になったのに
この聖なる天主堂は物悲しいという
情景を詠んだ俳句になります。
天主堂は長崎にある
浦上天守どうのことで、
今は修復されているところですが
この俳句が詠まれた時は、
まだ焼け落ちた廃墟であり
実りの時期になっても
廃墟となった教会の物悲しさが
ひしひしと伝わってきます。
私達が今同じ景色を見ることは
ありませんがでも
そんな物悲しい光景は
忘れずに語り継いで心に刻む必要が
あると思います。
同じ景色を見れなくても近い景色や
その当時を知ることで
この俳句に込められた物を
しっかりと感じたいなと思いました。


ちなみに
この句の季語は麦秋で
秋とありますが夏の季語です
麦は初夏に刈り込むのでこの時期の
季語となります。
よく秋の季語と誤解されがちですが
れっきとした夏の季語です。