神奈川県 座間市 入谷西 星谷寺さんへ。④ | KEN ituki

神奈川県 座間市 入谷西 星谷寺さんへ。④

 

神奈川県 座間市 

星谷寺さんに

やってきました。

 

 

 

 

 

 

お天気は

少し曇り気味な

感じになってきましたが

 

空に流れる大きな雲が

少しだけ時が経って

 

 

 

 

 

 

 

空を吹く風に流れれば

また青空になる

 

そんな日なので

お天気は

 

まったく心配しなくて

大丈夫な日です。

 

 

 

 

 

 

星谷寺さんの

長い歴史を物語る

 

境内の大きな

銀杏の木です。

 

 

 

 

 

 

以前に

この近くにある

 

県立 座間 谷戸山公園や

座間神社を訪れたときに

 

この星谷寺さんに

座間谷戸山公園は

とても広くて

 

歩く距離がとても

長くて時間と体力的に

 

立ち寄らせて頂くことが

できなかったので

 

今回この地域を少しだけ

再訪することに

させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

星谷寺さんの

本殿に向かって

歩いてゆきます。

 

 

 

 

 

 

境内を見せて

頂いていますし

 

もちろん

お参りし

お賽銭させて頂きます。

 

 

神仏、人様にも

失礼のないように

しなくては。

 

いつも気をつけて

いたりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

星谷寺さんには

国指定重要文化財の

梵鐘があって

 

 

 

 

 

 

 

重要文化財の

梵鐘を見てみます。

 

 

 

銘文中の人物の中には

源朝臣 信綱 と銘が

あるそうで

 

源朝臣 信綱 とは

源頼朝公の家人といわれた

 

終始、源 頼朝 公と

行動と考えを共にした

 

佐々木 信綱 公 であることが

市の文化材保護委員会の

 

調査により明らかに

なったそうです。

 

 

 

佐々木 信綱 公は

信綱 公の 父や祖父が

源氏に従がっていたので

 

平氏が政権を握ると

一族は滋賀県下の

領土を奪われることになり

 

現在の神奈川県大和市

南部に住んでいた

渋谷 国重 公の許により

 

20年あまりこれら

所縁のある近くの地で

すごしていたそうです。

 

やがて

源 頼朝 公が挙兵し

幕府を開いてゆくと

 

佐々木氏 一族は

奪われた滋賀の地から

中国地方にかけ

 

勢力を広げ

その悔しい思いには

完全に取返しがつくわけで

はないのですが

 

その悲しみを

抱いたまま

 

自分の人生の宿命を

果たさなくては

 

ならなかった

そんな思い深い

人物だと思います。

 

 

この梵鐘は

佐々木 信綱 公が

当時この地域に所縁あり

 

居たことを

この梵鐘の銘文が

現在ではそれが

 

唯一の証拠として

示している

 

大切な文化財でも

あるそうです。

 

 

 

以前、佐々木 信綱 公の

記事について、一部このブログで書いていますので

 

もし佐々木 信綱 公の人生に

ご興味のあるかたは、よろしければ

 

下の私のブログのリンクの記事を

読んでみたくださいね。↓

 

 

神奈川県へドライブ ⑦ 小動神社と腰越の港。 | KEN ituki (ameblo.jp)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖武天皇の時代

行基菩薩

 

源 頼朝 公の信仰のお話

徳川 家康 公の 帰依

など

 

星の谷観音のお話は

とても

世界観が大きいことに

気が付かれるかと思います。

 

 

以前に、相州 星谷観音、行基菩薩

座間 谷戸山公園 に

 

関連する記事について

このブログで書いていますので

 

ご興味のあるかたは、よろしければ

下の私のブログのリンクの記事を読んでみたくださいね。↓

 

伝説の丘へ 谷戸山公園 ① | KEN ituki (ameblo.jp)

 

 

 

 

 

 

 

 

参道に落ちている

青梅の実が可愛いです。

 

 

 

 

 

 

 

歴史的に素晴らしい

 

 

 

 

 

 

 

 

由緒のある寺社さんです。

 

 

 

 

 

 

 

お賽銭して

お参りします。

 

 

 

 

 

宮大工の

造りの込んだ

 

とても

立派な社殿です。

 

 

 

 

 

歴史とはとても

重いものであることを

 

感じずには

いられませんね。

 

 

 

 

 

豊臣 秀吉 公の

小田原 北篠氏 征伐の折

 

その時の村や民家の

生活への保障と待遇が

 

書かれた説明板が

ありました。

 

 

後北篠氏である

北篠 氏照  北篠 氏康 公も

 

姓を 大石 氏照 大石 氏康などと

名乗っている書簡文などもあり

 

氏照公は、自領では

油井 源三など別の名を

名乗っていることもあり

 

戦国時代では、国は滅び

城主も滅びますが

 

当時複雑な縁組により

名門名家の直系の子孫たちは

 

そのような養子縁組と

兄弟間でその名門家の

 

実の末弟となる子供たちは

戦には加わらずに

 

その地で農主としての

生活の立場を選び選ばされる

責任があったので

 

戦には加わらずに

徳川の江戸時代や明治時代まで

 

その家系の流れを

現代まで脈々と保つことが

 

出来た歴史の理由が

当時の事情や情勢が

 

書かれた

この案内板を見ると

紐解けるかと思います。

 

 

 

 

 

星の谷観音には

七不思議があって

 

そんな

七不思議を考え

 

足を運んでみるのも

楽しいと思います。

 

 

 

 

 

 

お参りしていると

曇り空の雲も

通り過ぎて

 

 

 

 

 

 

 

空はこんな感じで

また晴れてきました。

 

 

 

 

 

 

七不思議の

観音様の異例によって

 

昼間でも

星の写って見える井戸。

 

 

 

 

 

 

 

覗き込んで

井戸に落ちたり

 

頭を打ったり

しないように

してくださいね。

 

安全のため頑丈な

金物の蓋がされていますが

 

念のため

伝えておきますね。

 

 

 

 

 

それでは

座間市にある

 

星谷寺さんを移動し

次の場所へ向かいます。

 

つづきます。