神奈川県 厚木市 関口日枝神社さんへ。② | KEN ituki

神奈川県 厚木市 関口日枝神社さんへ。②

 

 

じつは

この日の旅は私にしては

唐突に始まった感じのする

 

旅の書き出し方で

何だかいつもとは

 

違う感じが違うように

思えた方がいるかと

 

思いますが

それが正解なんです。

 

昨年HDDがフォーマット

されるという

 

全画像データの消失があって

この日の旅の画像データ集の

 

断片しか見つからずに

中途半端な状態で

 

この日の旅を記事に

しているので

 

今回はその書き残していた

前半部分の掲載になるので

 

私としても再チャレンジし

この日の旅を書き足すので

 

HDDの画像集のデータ

損失の影響はまだ

 

私の記事に

微かながらに続いて

いるわけでした。

 

それでは

関口日枝神社さんに移動します。

 

 

 

 

 

 

 

日枝神社さんの本殿です。

お天気も良く

 

旅日和のポカポカと

暖かい日です。

 

日枝神社といえば

言葉の響きが

 

比叡山と最初の漢字の

二文字が同じですよね。

 

その共通点にも

本来どんな意味があるのか

 

なんとなく

思いを巡らせて

しまいますよね。

 

 

 

 

 

 

まずは

お参りします。

 

 

 

 

 

 

由来書きを見てみます。

 

古くは山王社と

称されていたそうで

 

下関口の鎮守社として

創建さてていたそうです。

 

明治に至り

日枝神社として

改称されたそうです。

 

 

 

 

 

 

日枝神社さんの

近くには

 

相模川が流れているので

上と下の関口の地名の

わけかたは

 

この相模川の流れが

基準になっているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

日枝神社さんの

高台から

 

相模川方向を

見下ろしてみます。

 

 

 

 

 

 

圏央道の高速道路が

見える先が相模川で

 

ここからは相模川の

川の水の流れ自体は

 

見ることができない

ようです。

 

 

 

 

 

 

 

大きい流れの相模川に

堰が作られこの地域を

 

関口と呼ばれたと

書かれていますがおそらく

 

当時には相模川の上流に

ダムは存在せずに

 

相模川の堰よりも

私は 関口 氏の人物からくる

 

姓名からの名称の由来も

あるような気がして

気になったりもしますが

 

 

治水工事としては

西暦800年頃も

 

この日本ではかなり

高いレベルの技術を

持っていたので

 

いろいろな可能性も

ありますが

 

それは後程この日の

旅の記事で後述します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとは

村の総鎮守であった御嶽神社は

 

武蔵御嶽神社を

分祀したものだそうで

 

その後 山王社 現在の

日枝神社がの

 

上関口 下関口の二つに

分かれた村の歴史が

書かれているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦 1870年

明治初期の人口は

 

戸数30戸 人口約150人

馬1頭 小舟1隻  

 

飲食店らしき店

2店だったそうです。

 

 

 

 

 次回につづきます。