東京都 あきる野市 深沢家屋敷跡へ。⑨ | KEN ituki

東京都 あきる野市 深沢家屋敷跡へ。⑨

 

 

時刻はもうとっくに

午後5時を過ぎていますが

 

夏も近く日が長くなり

夜の暗闇はまだ

 

もう少し遠く

いろいろまわれそうなので

 

太陽の光がゆるすまで

いろいろな場所へ

 

行ってみようと

思います。
 

 

 

 

 

 

あきる野市の深沢の

深沢家屋敷跡の

近くには

 

 

 

 

 

 

真光院さんという

山間のお寺様が

あって

 

 

 

 

 

そちらにも

寄ってみる

ことにしました。

 

 

 

 

 

 

空が絵にかいたような

こんな綺麗な色で

 

この青空の下に

自分一人しかいないような

 

錯覚を感じる日で

本日訪れた場所は

 

人も少ない場所で

誰ともあわなかったので

 

特別そんなふうに

感じてしまうのかもね。

 

 

 

 

 

 

 

あきる野市 深沢の

真光寺さんです。

 

 

 

 

 

 

真光寺さんのから

沢の先に

 

深沢家の屋敷跡は

あって

 

 

 

 

 

 

深沢家の屋敷跡は

東京都の史跡にも

 

指定されているので

何が見れるのか

楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

深沢家 屋敷跡の

入り口です。

 

 

 

 

 

 

東京 都あきる野市 深沢にある

深沢家 の 住宅跡

 

明治22年(西暦1889年)

2月11日に公布された

 

大日本帝国憲法の日本各地にある

1つの、憲法草案が

当時この場所で考えられたそうです。

 

大日本国帝国憲法の草案は

現在60件ほど

 

私疑憲法案が見つかって

いるそうで

 

大日本帝国憲法を

どういう内容で制定し

発布施行するか

 

江戸時代の末期を過ぎた

頃から、日本各地で盛んに

草案が検討されていたようで

 

それらの草案をまとめた

大日本国帝国憲法は

 

 

その後昭和21年11月3日に

公布された

 

現在の日本国憲法が

施行されるまで56年と5か月4日

つづいた憲法でした。

 

 

 

 

 

 

 

五日市地域の

自由民権運動の

 

中心人物であったのが

当時この屋敷の主である

 

深沢 権八と

その息子だったそうで

 

その時代にはこの地域で

自由民権運動の会員たちで

 

盛んに研究会や討論会などが

行われていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

昭和14年屋敷に

買い取られ別の場所に

 

移築された田母屋の

写真だそうです。

 

 

 

 

昭和20年を過ぎ日本は

戦後となりましたが

 

その時代は、古い名門名家の

母屋を購入して分解し

 

別の場所に運び再築して

もとの主との家系とは

 

まったく関係ない人物が

その中古の屋敷に遠い場所の

 

別の村や土地で場所で

その買い取った母屋の住宅で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住むことなども多く

もとの主の家系やその主が

 

母屋を手放さなくなっては

いけなかった理由は

 

この深沢家などが活躍した

明治時代の初期であれば

 

府議会議員や県議会議員などの

当時の初代の政治家などは

 

現在の選挙制度はなく

税金を誰よりも多く納めた

 

 

 

 

 

 

現在では廃止された

長者番付けの発表に乗るような

 

富豪である人物が

基本的に府議会や県議会の議員に

選ばれる制度なので

 

政治活動をしていても

実入りや所得も得られず

 

手弁当での政治活動

民衆へ社会政治奉仕と
いう時代で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在のように選挙制や政治活動費

給料やボーナス、政治献金もない

 

政治に携わる者は、井戸と土塀と

屋敷の基礎の礎石しか残らないと

言われていた時代なので

 

現在の政治家の時代とは

まったく仕組みと構造が違うので

 

平成以後の政治家と

昭和20年以前の政治家と

 

明治初期の政治家は

区別して考えなくてはならず

 

選挙制度も現在のように

選挙がない時代もあり

 

男性のみが選挙権を

得ている時代もあり

 

現在のような

民衆選挙制度とはまったく

 

政治的な事情や仕組みも

違うので

 

過去の日本の政治家を全て

現在の政治家と同一視して

 

ことを論じたり

考えることは基本的に

誤りで

 

 

 

 

 

 

 

いろいろな人物がいて

国や民の幸せを純粋純真に

思うそんな

 

政治家たちも多くいた

ことを考えなくては

ならないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

昭和20年

太平洋戦争終結後は

財閥解体や財産税、

 

農地解放、預金封鎖、

とても軽度戦犯

 

などの政策により

それらの人たちも

 

公職追放などの処分などがあり

家屋敷を失い、売り出され

 

中古の住宅として分解して

別の人の手に渡ったという歴史が

 

昭和20年過ぎなどにも

日本全国的に見ても

 

よく見かけられた

ことだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

深沢家の住宅跡の

裏山の杉の山林

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ

見てきたので

 

深沢家住宅跡を

はなれます。

 

 

 

 

 

 つづきます。