神奈川県 横浜市 甚行寺さん&フランス公使館跡へ。⑪ | KEN ituki

神奈川県 横浜市 甚行寺さん&フランス公使館跡へ。⑪

 

本覚寺さんの見学を終えて

ここからまた

 

他の場所へと

移動して行きます。

 

 

 

 

 

岩瀬 肥後守 忠震 公の

顕彰碑がありました。

 

横浜開港の首唱で

江戸時代後期の幕臣であり

外交官だった人物です。

 

肥後守と付いているので

官位があり官位を見てみると

 

正五位が維新後に

この像の 岩瀬 忠震 氏に 贈られていて

 

江戸時代の伊達政宗の子孫に

あたる人物だそうで

 

伊達氏のルーツは

山陰流 藤原氏の

当時の後裔だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

青銅の彫像を見て

宮前商店街を

抜けていきます。

 

 

 

 

商店街近くには

真言 高田派 甚行寺 さんがあり

 

この場所は当時の

旧 フランス公使館 跡で

 

横浜市の史跡にも

なっていました。

 

 

 

 

 

徒歩で青木の山の高台を

海方向に少し下って

 

真言 高田派 甚行寺 さんの

山門の入口に到着しました。

 

 

 

 

 

史跡 旧 フランス公使館 跡の

標章の石柱です。

 

 

 

江戸末期から

明治初期頃にかけて

 

この場所に 旧 フランス公使館が

あったのですが

 

現在では公使館という

表現は日本ではあまり使われる

ことはなく

 

 

大使館などは

日本国外の諸外国に置かれていて

いて聴きなれた名称の響きですが

 

現在では公使館という

名称はあまり聴かないですよね。

 

 

 

現在の日本政府では過去にあった

公使館の制度が

 

大使館に統合されるような形で

一体化して

 

 

現在でも公使はいるのですが

公使は大使の次にあたる

地位となっていて

 

現在は両者とも外務省の

国家公務員にあたるのですが

 

 

この頃の過去の歴史上の

世界の政治運営の形は

 

 

議会制民主主義と

国王貴族を中心とする政治主導体制の

二本建ての政治体制をとる国もあり

 

 

大使と公使という二つの

その国の対外諸国への外交意向や

 

その国の描く両国の関係の未来の希望や

意見、意向などを柔らかく

 

調整しながら未来の方針や

希望を伝えて行く根回し的な外交の

かたちと

 

 

基本的対外政策や条約などの決まりへの

履行の監視や異議などを独立的に強く

意見を表明し国連や各国々で

 

その立場や起こっていることの

現状を表明して行く立場など

 

それらの二つの別の特質的な

立場や機能も、世界貿易が

大きく始まる前の黎明期には

とても必要な時代であったことと

 

当時の国々は世界の国々に対して

植民地主義をとる国々も多く

 

植民地時代であったことも

色濃く影響していると思えます。

 

 

 

 

 

在外公館などの制度については

 

当時、対外的に仲の良い友好国や

同盟国には大使館が置かれ

 

それに相当しない国には公使館が

置かれたりと

 

大使館は1つの国の中で1カ所ですが

公使館はいくつ置いても良いなど

 

歴史的に見るとこれらの

在外公館のその運用は

 

歴史的にもある程度の

時がたって、少しずつ

 

いろいろ変化してきているので

それらのことをふまえて

 

時系列的に学んで行かないと

完全に理解することは

 

なかなか

難しいかもしれません。

 

 

 

 

私も完全に

理解している訳ではなくて

 

このような

おぼろげながらの私お解釈に

 

とどまって

しまうのですけれどね。

 

 

 

 

 

 

大使館と領事館は大きく存在の

意味が違っていて

 

 

 

大使館は、その国の政治的な外交や

貿易などの様々な取り決めや

 

友好などについて外交的な職務を中心に

機能している組織で

 

 

領事館は、国外に旅行する自国のその国の

旅行者や仕事などでその国に滞在する

 

自国の国民などを守り保護することなどが

主な職務の中心に機能している組織なので

 

 

 

 

どちらかというと

 

一般的な外国観光を楽しむ観光客や

世界各国の通常のお仕事でそれらの国々に

滞在する人であれば領事館

 

 

政治家や国王、貴族などの政治に

関する取り決めや外交などは大使館

 

 

と覚えておくと

良いのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代のものでしょうかね。

甚行寺さんある

 

青木のこのあたりの

地域の絵の複製が

 

モニュメント的に

掲示されていました。

 

この場所は元町の

宿だったようです。

 

 

 

 

 

モニュメントの掲示板には

甚行寺さんの歴史と

フランス公使館の由来の

 

歴史が簡単に

ふれられていました。

 

 

 

 

 

 

青木3丁目です。

だんだん海方面が

 

近い場所に徒歩で

移動して来ましたね。

 

今回の旅は

海が見れるかな。

 

あんまり自身が

無いけですけれどね。

 

 

 

 

 

 

甚行事さんに

お参りをします。

 

 

 

 

 

 

清浄之院

 

 

 

 

 

境内の庭園には

池があって

 

綺麗な鯉が

泳いでいて

 

とっても可愛らしく

性格の良い

 

おりこうさんな

鯉たちなので

 

この鯉たちと

遊びます。

 

 

 

 

 

近くに

寄って来たよ。

 

 

 

 

 

 

 

カワイイ

 

 

 

 

 

 

 

純な穏やかな

可愛い

 

オメメを

しています。

 

 

 

 

 

カメラ

持ってるから

 

ちょっと

見ててね。

 

 

 

 

 

 

ほら。

見せてあげるよ。

 

不思議な感じで

綺麗でしょ。

 

 

 

 

 

 

鯉さんターン。

 

 

 

 

 

 

宙に浮いてる

みたいに。

 

 

 

 

 

 

輝いているでしょ。

 

 

 

 

 

鯉さんと遊び

鯉さんに遊ばれ

 

楽しい

思い出ができ

 

そろそろ

甚行事さんのある

 

この場所を

はなれます。

 

 

 

 

 つづきます。