新府城址の山頂 ⑤ | KEN ituki

新府城址の山頂 ⑤

 

新府城跡の山頂は

ほぼ藤武神社の

建物しかなくて

 

あまり見るものも

少ない感じですが

 

お天気は薄ぐもりでも

雨は降ってきそうもない

 

お天気なので散策には

助かりました。

 

 

 

 

武田勝頼公の父である

武田信玄公は

 

生前に仏道に入道し

現在の長野県上田市の

 

文化財には

武田信玄 公の 願文として

 

願文の終わりに

武田徳栄軒信玄と筆し

 

花押が押された文章が

あり

 

現在の山梨県甲府市にある

恵林寺は、武田信玄公の

 

菩提寺であり、武田信玄公の

戒名は、法性院機山信玄・・・・

 

と生前から

名乗っていたようです。

 

 

 

 

 

私の訪れた場所や

由来がわかる人物など

 

歴代の仏法に帰衣した

人物の冬至の墓所や

 

戒名を見ていると

国主クラスは戒名が

 

11文字~13文字で

院居士が通例のようで

 

武田信玄公の場合は

法性院機山信玄

 

のあとにまだ、文字列が

あったのではないかと思われます。

 

 

 

 

現代の通常の戒名は、寺の僧侶が

生前のご本人がなくなった後に

 

葬儀の喪主である人物に

その人の、生前の生き方や

 

子考え方、社会に対しての

貢献や、考えかたや性格を

 

聞き取り、生前の名前の一文字

を残し書き入れるのが通例ですが

 

武田信玄公の場合は

生前から 法性院機山信玄

 

と名乗っていたようなので

このあたりの現代の通例である

 

戒名の付けた方は参考には

ならない、とは思われます。

 

 

 

 

藤武神社の社殿は

 

キツツキが

つっついたような

 

天蓋部分の穴の

屋根が可愛らしいです。

 

 

 

 

 

 

七里岩という

崖のような傾斜の上に

 

新府城は建っていた

のでしょう。

 

 

 

 

 

 

今は、当時の城の建てものは

一切なく、建物の礎石や

 

通路の思かげなども

何もなく

 

一見すると原っぱの

広場みたいな感じがします。

 

 

 

 

 

 

甲斐武田氏といえば

滅亡後に、その子孫や

 

家臣などは

徳川家により

 

八王子城の千人同心として

八王子を中心とする南北

 

20km圏に多く配置

されたようですが

 

歴史教科書的には

中学の歴史の教科書に

 

千人同心は記述されていて

今の歴史教科書では

 

その記載があるかは

確認していませんが

 

八王子近郊の千人同心の

話しは有名で

 

明治時代だったと思いますが

東京府の八王子周辺あたりの

 

地域は、韮山県だった

こともあり

 

山梨県の韮崎と東京都の

八王子周辺のの町村は

 

山梨県の韮崎や神奈川県の

相模原辺りなどと

 

とてもつながりが

深い場所だったりもするのでした。

 

 

 

 

 

一方 穴山梅雪 (信君)公に

とっては、武田の本城をこの

 

新府に築くことは、本来的には

穴山梅雪 公としては

 

隣村の立地であることは

好ましいことで

 

穴山という地名の穴山信君公の

本拠の場所から遠い

 

甲斐甲府の地よりも

こちらの新府に本城本拠が

 

築かれたほうが、本来的には

都合が良いはずだと思われます。

 

なぜ、穴山信君公にとって

都合の良い、政策をしてくれた

 

武田勝頼 公と、たもとを

分かつことになったのかは

 

それらの点を考えると

イマイチ腑に落ちない

 

面があるのも、確かだと

思います。

 

 

 

 

 

 

その点を考えると

武田勝頼公の父である

 

武田信玄 公の 躑躅ヶ埼館を中心とする甲府派

穴山信君 公 の(穴山梅雪)新府城周辺の新府穴山派と

 

そのどちらにもない、他派などの

結束に、乱だれが生じ

 

そのような歴史の流れになって

いったことは、考えられることで

 

甲斐武田氏の中に覇権争いのような

これは、後の時代の徳川家にも

 

見られるようなことで

この各個人の覇権心なるものが

 

甲斐武田氏の本当の滅亡の理由で

あるのかもしれません。

 

戦国では、武門最強として

誰にも恐れられた甲斐武田氏

 

鉱山運営や治水工事にも長けていて

所領運営や、商業、農業なども

 

しっかりと、智の才覚のある

運営がされていた国であり

 

そうやすやすと滅ぶ国では

なかったはず

 

 

 

 

 

 

甲斐武田氏に

その時何が起ったのか

 

いまでも、定かでは

ありませんが

 

もう少しこの

新府城址の散策を

続けることにします。

 

 

 

 

今はのどかに

野の草が花を咲かせ

 

 

 

 

 

この新府城にも

もうすぐ

 

入道雲と

夏の風が吹いて

くる頃です。

 

 

 

 

 

つづきます。