鷲城、栃木県小山市へ ③ 鷲城跡 | KEN ituki

鷲城、栃木県小山市へ ③ 鷲城跡

 

史跡 鷲城跡に行ってみました。

この日は天気も良く

 

何か楽しいものは

あるか、先を急ぎます。

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲神社の案内板が

ありました。

 

今回は、美しい写真よりも

歴史的な風景が多いので

 

そういうものが

お好きでない人は

 

無理に読まず

読み飛ばして下さいね。

 

小山市の美しい

写真は、芸術写真のコーナーに

 

etcのコーナーが終わったら

掲載するので、楽しみに

 

待っていて下さいね。

 

冬の写真は、大体こんな

風景が多いので、なかなか

 

美しい場面には

出会わないのですが

 

それでも、美しい光景を

見つけながら歩いて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

鷲神社の、参道を歩いていると

右側に、公園の空き地があり

 

そこにはこんな、時代の

代物がありました。

 

昔の消防団の分団の

消防車!?

 

ではなく、人力移動式

消防ポンプでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和14年製ということは

今から83年前の、83歳の

 

消防団の移動式ポンプです。

これは、かなり古典的な

 

ポンプで、町内に埋設した

防火水槽の用水から、水を組み上げて

 

火災を消火するという、現代の今では

あまり見かけることのなくなった

 

防火用水とセットで使われた

消防大八車のポンプですね。

 

一般的には現代のビルなどの

都心部では防火水槽というより

 

水道水の水圧をそのまま消防車で

組み上げ、消防車の水圧動力ポンプで

 

増圧して、消防ホースに圧力をかけて

消化ノズルから、水を噴射噴霧する

 

という方式をとっていますが

この消防ポンプの大八車は、火事が

 

起こった時の運搬も人力、そして

防火用水や、池や川などの水を

 

利用する、古典的な超旧式

の移動式装置ですが

 

そんなおじいちゃんぶりも

現代では可愛く、ついでに

 

勉強してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二分団と書いてありますが

車輪は、木製の車輪の外側に

 

鉄輪が嵌められており、車輪全体の

路面からの衝撃の入力による

 

木製の車輪の破損を防いでいます。

 

 

 

 

 

車輪は、木製ですが

強度が必要なので

 

おそらく素材強度のが高く

比較的粘りのある樫の木の

 

木材ではないでしょうか。

 

車輪部の塗料も

現代のものとは違うようで

 

木の水分を外気に排出蒸発

させることが出来るように

 

水分透過性と空気呼吸性に

優れる、染料が使われている

感じです。

 

 

 

 

 

 

 

車輪中心部はよく見えません

が、サスペンションは

 

リーフスプリングのタイプなので

現代の軽トラックなどの

 

後輪部分のサスペンションの

構造と大差はないので

 

珍しくはないのですが、車輪部の

スピンドル部分のベアリングの

構造が、気になるとことです。

 

もしかするとですが

ボールベアリングではなく

ローラーベアリングかな。

 

ボールベアリングは摺動部分が

点接触するので、ローラーベアリングの

 

ほうが、ベアリング内部の

枢動部分の接触面積が多いので

 

重いものの運搬や、速度の

遅い車両などには、耐久性面で

 

最適なので、どうやらそんな構造

のようです。

 

しかし、現代では考えられない

ほどの、ある意味ではローテクなので

このローテクぶりが素晴らしい。

 

何といっても、電源も燃料も

なくても、人力だけで火が消せる。

 

ある意味、条件特化した環境化なら

最強の構造な気がしたりします^^。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消化ホースは、ピース分割による

ホース長の接続延長方式で

 

ホースの長さを消化作業者の

好みの選択で、自由に選択できる

構造のようです。

 

 

 

 

 

 

 

消化ノズル先端と

人力ポンプのピストンシャフト

 

消化ノズルは、黄銅や白銅で

出来ていて軽量で扱いやすそうですね。

 

給水負圧と、消化水圧を生み出す

圧力ポンプは、井戸の人力ポンプのような

 

構造で、人が集まりエッコらヨッコら

このポンプを上下させて、消化水圧を

 

作り出す方式で、現代のデイーゼルエンジンの

消防車の消火ポンプではないので

 

消化ホースを握る作業者は

水圧も低くて、扱いやすく

 

あまり危険性がない構造ですが

水圧は、せいぜい2階ぐらいの

 

高さまでで、せいぜい水道の家庭用の

散水ホース2~3本の水量くらいしか

 

得られないような構造なので

なかなか、火が消えないので

 

初期消火しか難しいとおもいますけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

はぁ!

 

ここでビックリ!

 

消火用の水圧ホースは

内側のホースの外皮に

 

縄を巻き付けることにより

耐圧補強してあよ。

 

もののない時代の工夫に

にビックリ

 

現代の洗濯機の排水

ホースも同じような構造だけど

 

ステンレスや、ナイロンワイヤー

が巻き付けてある、そんな発想だけど

 

縄を巻き付けるなんて、発想発明もの

ですね。

 

ちなみに現代の洗濯機の

給水ホースは

 

水道の水圧に耐えるように

ナイロンケブラー繊維で頑丈に

 

内部を補強してあるので

発想は同じだけどね。

 

縄ですよ縄。。

 

 

 

 

 

 

 

そして・・・。

 

またビックリ!

 

消火に使う水を吸い上げる

フィルターには、手編みのザル。

 

業界用語では、ストレーナーや

フィルターというのだけれど

 

金属製の金網よりも

手編みのザルのほうが

 

構造的に適している模様です。

 

このザルがないと、防火用水や

池や川の、砂利や川藻、苔などを

 

人力、エッコらせヨッコラセポンプの

水圧を生み出すシリンダーとピストンの

 

シールを、小石や砂利などで

気つけ破損させるので、そうなると

 

水を噴射することも、ポンプが

スカスカになり、完全に故障するので

 

そういう異物をエッコらせヨッコラセポンプ

の内部に吸い込まないようにする

 

フィルターだけど、ほんとまさかのザルとは。。

 

たしかにね、川藻や苔、粘土質の

泥などは、目の細かい金網の

 

ストレーナーフィルターでは

網目がすぐにつまり、給水が

 

出来なくなると思うので、確かに

これのほうが理想的だよね。

 

水圧を生むシリンダーやピストンの

シールは、この時代だと、もしかすると

 

現在のように合成のゴム製ではなく

動物の革などを主に使っていたり

する可能性が高いかな。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の道路は、1間 90cm あれば

立派な道路で、現代のような大きな

 

消防車は、当然まったく通ることが

出来ないので、この小さなサイズで

 

良いのですが、一般的な大八車は

このサイズが基準で標準的なんだろうね。

 

この消防大八車、オートバイや

トラクターなどに接続して牽引する

 

部分の構造は、見ることが出来ないので

せいぜいこの消防大八車を引くのは

 

人力か、牛か馬程度だったのでしょうね。

しかし、土地は広いので、火が付いたら

 

これでは、到着するまでに何日くらい

の日数がかかるのだろうか。
 

 

 

 

 

 

 

今回は、こんな過去の

遺跡的な貴重なものを

 

多く見れるお散歩の

旅のようです。

 

ひきつづき鷲城跡の

鷲神社に、1人

歩いて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

鷲神社に到着しました。

 

鷲といえば、埼玉県の鷲宮神社には

前小山氏の、小山義政公が奉納した

 

鷲宮大太刀がありますが、こちらは

現在埼玉県久喜市の資料館が保存し

 

別の場所にありますが、なぜ神社名や

城が鷲、鳥の由来の名前なのか

 

また、小山若犬丸、や 

小山久犬丸なのか

 

そして、藤原魚名なのか

歴史伝承を遡って行くと

 

曽我のイルカや馬子など

馬頭観音や鳥を規範とする

 

神社名や、オオカミや犬を祭る

神社など、関東にはたくさん

 

あるのですが、それらのことを

考えて行くと、何故かエジプトの

 

壁画に描かれる、古代の神々と

なんとなく繋がって行くことも

 

不思議なことだったりします。

 

 

 

 

 

 

お参りをして、この日の

最終目的地は

 

佐野厄除け大師

あたりを目指します。

 

佐野厄除け大師といえば

地元の人に愛される

 

イモフライも有名ですね。

 

 

 

 

 

 

 

鷲城跡は、今は

このような

杉の木が目立つ場所

になっています。

 

鷲城跡はデートコース

にはまったく不向きなので

 

思川沿いや駅近くが

楽しいと思います。

 

それでは、しっかりと

お参りをして

この場所を離れます。

 

 

 

 

 

次回につづきます。

 

 

 

PS.

 

ちなみに昭和の最後の

頃まで、よく町のあちこちで

 

見かけた防火水槽、今では

いろいろな問題や施設の老朽化

 

などで、取り壊され消火栓が

主流になりましたが

 

この防火水槽がつくられたのは

大正時代から昭和初期に

 

よく造られたようです。

 

ここに、消火用の水を

ためていたわけですね。

 

写真は栃木県とは全く関係なく

別の場所のものです。

 

水道が発展していない

時代にどうやって、このコンクリートの

 

水槽に、給水していたのか

あらたな、謎が生まれましたが

 

それま、また時間をかけて

考えておくことにします。

 

今回は、雑学的、工

お話が多くなってしまいましたね。