小石川後楽園へ | KEN ituki

小石川後楽園へ

 

木場公園から地下鉄に乗り

小石川後楽園に来ました。

 

小石川後楽園は、水戸徳川家の

徳川頼房公の命により、整備が

 

始まり、その整備を主に担当したのが

徳大寺 左兵衛という、当時の人物であり

 

3代将軍 徳川家光とともに

小石川後楽園の作庭指示が行われたそうです。

 

訪れたことのない場所なので

楽しみですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯田橋駅の

地下鉄の通路を出て

 

小石川後楽園に向かいます。

 

神田や秋葉原などには

音楽や電気関係、芸術関連で

 

学生時代から良く来ている

路線で、なじみが深いのですが

 

飯田橋は、若いころの僕の

働いていた、会社の本社があったのですが

 

それくらいしか、このあたりを

訪れることがなく、あまり野球に

 

興味のない私には、東京ドームも

展示会などのイベントくらいでしか

 

訪れることも無く

飯田橋は、そんなに

 

来ない場所なので

なんか、とても新鮮なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯田橋駅あたりは、路線の駅の複合

集中化の工事がされて、駅の

 

乗り口と降り口が、20年程前と

比べるとだいぶ変わったので

 

あっちがどっち

という感じで、少しとまどいながら

小石川後楽園に向かいます。

 

小石川後楽園は、水戸光圀公を

モチーフに仕立てた

 

昔のTVのドラマでお馴染みの

水戸黄門様が、2代目の小石川後楽園の

 

主の様で、この時代に当時の中国

明の儒学者である、朱舜水と共に

 

その知識や叡智を注ぎ、新しい

造園法を取り入れ、更に

 

小石川後楽園の作庭に磨きを

けていったそうです。

 

小石川後楽園という

命名は、岳陽楼記から

 

引用され、命名されたそうで

岳陽楼記の真髄は

 

 

真に優れた人物は

環境や個人のその時の

 

立場によって、感情を

左右されてはならず

 

天下の憂いに先んじて

憂へ、天下の楽しみに

 

遅れて楽しむものであり

そんな戒律のような

 

言葉が書かれている

のが、岳陽楼記であり

 

小石川後楽園の園名も

そんな、中国の立派な思想より

 

帝王学の影響を受け

引用され、命名されたもので

 

帝王学の意味が理解できる

高貴な人物や、後世の後取りには

 

少し勉強すると理解が出来る

時代を超えたストレートな暗号

 

メッセージといっても良いのかも

しれません。

 

先人の想いに反さない生き方

を戒め、その継承する資格資質性を

 

ある意味で、強く時を超えて

この庭園を作庭した人物は

説いているわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、そんなことを

考えながら、小石川後楽園の

正門に到着しました。

 

これから、入園してそんな

歴史のある、小石川後楽園内を

散策して行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

入園料は、こんな感じで

良心的なので、小石川後楽園のお近くに

 

お住いの方や、デートなどにも

おすすめの場所で、静かで

 

美しい時間が過ごせる場所なので

ご興味のある方は、ぜひ一度

訪れて見ると良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

私は、美味しくて、美しいホウルのケーキを

パティシエが

 

集中して、1つ1つ真剣に丁寧に

切り出して行くように

 

自分が夏に撮影した、この小石川後楽園の

写真をカットして、この記事に掲載して行く

 

作業中です、続きをお楽しみに!