警察力の教育現場への介入を嫌うあまり、凶悪犯罪の被害に遭っている生徒たちを見殺しにすることは、
本末転倒と言わなければならない。

 教育の独立性の確保も大事かも知れないが、生徒を見殺しにするような教師たちにそんなことを言う資格はない。

 生徒たちを守れない、守るつもりのない教師や校長、教育委員など、みんな首にしてしまえばいい。

 学校に警察官が立ち入ることで、凶悪犯罪が減り、被害者の人権を守る効果があるのなら、
学校も教師も進んで警察力に頼るべきだ。

 警察に頼るのがいやなら、イジメが凶悪化する前に、その芽を摘むしかない。
そのための努力を多忙を理由に放棄する教師は、生徒たちのために、さっさと学校から去っていただきたい。

 NEWSポストセブンより
いじめ事件「教師が警察力を利用すれば激減する」と識者指摘
【 滋賀県大津市の市立中学2年生が昨年10月に自殺した事件をめぐって、議論は百出の様相である。ノンフィクション作家・門田隆将氏がいじめ問題への対応策について指摘する。
 * * *
 世間を騒がしている大津のいじめ事件における「警察の動き」を国民はどう見ているだろうか。おそらく、多くが「いい加減にしろ」と思っているに違いない。

 私は、大津警察署がとった行動にこそ、事件の本質が隠されているような気がしてならない。自殺した中学2年生(13)は、殴る蹴るはもちろんのこと、「自殺の練習」をさせられ、死んだハチを食べろと命令され、亡くなる前日にはマンションの自室も荒らされていた。

 その父親が息子の死後、暴行の「被害届」を出しに大津署に行ったが、3度も「受理してもらえなかった」というのである。市民の生命と安全を守るべき警察が、死んだ息子の無念を胸に相談にやって来た父親を3度も“門前払い”にしているのである。

 そこには同じ「人の親」としての思いやりや憐憫の情、洞察力……等々が全く窺えない。その神経は、異常というほかないだろう。しかし、私はそこにこそ、この事件のポイントがあると思う。

 単に「いじめ」といっても、それは千差万別だ。中学生ともなれば、学校の先生を腕力で凌ぐ生徒などいくらでもいる。また、やくざの息子もいれば、平気で先生を脅すような親も少なくない。

 そんな学校現場で、いじめや校内暴力を止めるためには、警察との連携が不可欠であることは自明だ。だが、肝心の警察が、そもそもそんなことに「理解」もなければ、「やる気」もないのである。

 つまり、日本の警察には、いつまで経っても「学校のことは、学校で処理せよ」という頭しかない。私は、日本の警察の意識を変え、警察が行動しやすい体制さえつくれば、いじめや校内暴力をなくすのは、実はそれほど難しいことではない、と思っている。

 つまり、警察力の「教育現場への介入」を積極的に押し進めることだ。いじめを見れば、まず教師が対策を話し合い、それでもダメなら、早い段階で「警察力を利用」することである。そのことが当たり前のごとくおこなわれるようになれば、ワルどもが「やりにくくなる」のは当然である。

 そういう警察力の介入を積極的におこなう教育現場を社会が「非難する」のではなく、逆に「評価する」姿勢ができれば、いじめの被害者は激減するだろう。

 子供たちの生命を守るためには、当然すぎるこういうことがこれまでできなかったのは、いつも浮世離れした“書生論”ばかり展開する新聞メディアに責任がある。

 世の自称・人権派たちと組んで、新聞ジャーナリズムがそれを阻止したり、批判したりしなければ、命の助かる生徒がどれだけ増えるだろうか、と私は思う。いじめによる自殺者をなくすには、教育現場と新聞ジャーナリズムが“偽善”から脱却することが、まず第一なのである。】

関連記事 イジメ?自殺教唆?殺人未遂? 埼玉 中2男子に恐喝目的で飛び降り強要
       イジメで溺死寸前、止めずに傍観?女子生徒が動画で撮影…高2一時重体
       生徒15人が証言「自殺の練習」強要 事実なら「自殺教唆罪」に当たる重大犯罪