【汚染が疑わしい食品は流通させない。ただそれだけのことで消費者はもちろん、産地や流通も救えたはずだ。これは政府や役人が「法律に触れない範囲で最大限サボっていた」結果の人災だろう。】
毎日JPより
【1頭の牛のことを、今も考え続けている。福島県川俣町から4月に出荷され、その肉から5月11日、1キロ当たり395ベクレルの放射性セシウムが検出されたのだ。だが、暫定規制値の500ベクレルを超えなかったため、役所は検査強化などに動かなかった。その結果、7月8日、同県南相馬市の牛の肉から2300ベクレルが検出されるまでの「空白の2カ月」の間に、全国に出回った汚染の疑われる牛は5000頭に膨らみ、うち100頭は暫定規制値を超えていた。何がこの行政の怠慢を生んだのか。
「395ベクレルの警告」は見過ごされ、南相馬から5月末と6月末に出荷された高濃度の汚染牛計6頭が流通した。こうした食品衛生行政の実態を19日朝刊「検証・大震災」で報じた。未曽有の原子力災害で汚染牛の流通を完全に防ぐのは無理だったにせよ、あの時に検査を強化していれば、流通規模はもっと小さくできた可能性はある。
牛肉汚染問題で、私はマスコミ他社と同様、農林水産省を批判してきた。最大の原因が原発事故後に集めた稲わらだったにもかかわらず、餌の汚染に気を付けるよう畜産農家に出した3月19日の同省通知は牧草のみに言及し「稲わら」が抜け落ちていたからだ。
だが、仮に稲わらに注意を喚起していても、震災直後の混乱のさなかに農家へ届く保証はない。震災と原発事故の影響で飼料が不足し、汚染されたわらや水を与えざるを得ない状況もあった。むしろ、報じてこなかった厚生労働省の罪の大きさに、今回の検証でようやく気づいた。
厚労省が所管する食品衛生行政の武器は、流通する食品の一部を抽出して調べるサンプル検査だ。福島牛は8割以上が県外へ出荷され、多くは東京や横浜で食肉処理される。ところが「空白の2カ月」の検査頭数は東京が2頭、横浜はゼロだった。
◇「自治体の仕事」「国の指示なし」
厚労省担当幹部は「検査は国ではなく自治体の仕事だ」とにべもない。確かに食品衛生法は検査を自治体の役割とし、国はそれを支援する--とうたう。支援はしたのか。「福島県から届く出荷情報を関係自治体へ逐一メールで送り、検査を依頼した。時には電話もして頼みましたよ」
一方、東京都は「出荷情報は来たが、電話での正式な検査指示はほとんどなかった。農家ごとの的確なサンプル抽出は全体を把握する国の指示なしには無理だ」と主張し、横浜市は「検査機器がなくて断った」と言う。
厚労省幹部は「やるやらないは自治体の長の判断。彼らは法律に触れない範囲で最大限サボっていた」と非難する。だが、同省が法に触れぬ範囲で最大限、自治体にやらせようと努めた気配はない。
野球の「お見合い」というプレーを思い浮かべた。野手が互いに「相手が捕るだろう」と考えて立ち止まり、間に球が落ちる。どうやら、国も自治体も「法律通り」仕事をしたらしい。その結果、未検査の問題牛が大量に流れ、消費者の不安や不信をあおり、産地や流通が打撃を受けた。
◇現場に背を向け、法律に逃げ込む
とりわけ被災地には、検査を自治体の仕事とする法律は過酷だった。福島県では検査機器が足りず、職員が3月下旬から毎日、原乳や野菜の検体を千葉の検査機関へ車で運んだ。ある職員は「検体が多くて追いつかず、厚労省に相談すると、同省の出先機関を紹介された。私が『宅配便の着払いで送りたい』と言うと『着払いは困る』と言われ、利用をあきらめた」と言う。
食品衛生法という平時の法律は、震災や原発事故という“戦時下”では無力なのに、厚労省は“戦場”に背を向け、同法という“塹壕(ざんごう)”に立てこもり続けた。原子力災害対策特別措置法の20条は、対策本部長(首相)が自治体の長や職員にまで指図できると定め、実際に出荷停止の指示に使われてきた。この“大権”を振るってでも検査を強める構えが官邸にあれば、状況は違っていたはずだ。
「検証」で福島県浅川町の農家、近藤昌彦さん(54)を取材した。汚染牛を出したとしてバッシングされ、心も名誉も傷つけられていた人だが、実は彼が自らわらを調べて通報しなければ、稲わら汚染が広域に及んでいる事実が発覚するのはもっと遅れていた。彼が力なく言う。「このままでは経営が続かない。バンザイするほかないですよ」
汚染が疑わしい食品は流通させない。ただそれだけのことで消費者はもちろん、産地や流通も救えたはずだ。暫定規制値という自らの線引きを超えぬ限り動かない役所。官邸は、暫定的な「安全」と消費者の求める「安心」との落差に気付かなかったのか。一連の事態は「原発事故」「見かけ倒しの政治主導」という二重の意味で人災であり、消費者も近藤さんもその被害者だ。】
毎日JPより
【1頭の牛のことを、今も考え続けている。福島県川俣町から4月に出荷され、その肉から5月11日、1キロ当たり395ベクレルの放射性セシウムが検出されたのだ。だが、暫定規制値の500ベクレルを超えなかったため、役所は検査強化などに動かなかった。その結果、7月8日、同県南相馬市の牛の肉から2300ベクレルが検出されるまでの「空白の2カ月」の間に、全国に出回った汚染の疑われる牛は5000頭に膨らみ、うち100頭は暫定規制値を超えていた。何がこの行政の怠慢を生んだのか。
「395ベクレルの警告」は見過ごされ、南相馬から5月末と6月末に出荷された高濃度の汚染牛計6頭が流通した。こうした食品衛生行政の実態を19日朝刊「検証・大震災」で報じた。未曽有の原子力災害で汚染牛の流通を完全に防ぐのは無理だったにせよ、あの時に検査を強化していれば、流通規模はもっと小さくできた可能性はある。
牛肉汚染問題で、私はマスコミ他社と同様、農林水産省を批判してきた。最大の原因が原発事故後に集めた稲わらだったにもかかわらず、餌の汚染に気を付けるよう畜産農家に出した3月19日の同省通知は牧草のみに言及し「稲わら」が抜け落ちていたからだ。
だが、仮に稲わらに注意を喚起していても、震災直後の混乱のさなかに農家へ届く保証はない。震災と原発事故の影響で飼料が不足し、汚染されたわらや水を与えざるを得ない状況もあった。むしろ、報じてこなかった厚生労働省の罪の大きさに、今回の検証でようやく気づいた。
厚労省が所管する食品衛生行政の武器は、流通する食品の一部を抽出して調べるサンプル検査だ。福島牛は8割以上が県外へ出荷され、多くは東京や横浜で食肉処理される。ところが「空白の2カ月」の検査頭数は東京が2頭、横浜はゼロだった。
◇「自治体の仕事」「国の指示なし」
厚労省担当幹部は「検査は国ではなく自治体の仕事だ」とにべもない。確かに食品衛生法は検査を自治体の役割とし、国はそれを支援する--とうたう。支援はしたのか。「福島県から届く出荷情報を関係自治体へ逐一メールで送り、検査を依頼した。時には電話もして頼みましたよ」
一方、東京都は「出荷情報は来たが、電話での正式な検査指示はほとんどなかった。農家ごとの的確なサンプル抽出は全体を把握する国の指示なしには無理だ」と主張し、横浜市は「検査機器がなくて断った」と言う。
厚労省幹部は「やるやらないは自治体の長の判断。彼らは法律に触れない範囲で最大限サボっていた」と非難する。だが、同省が法に触れぬ範囲で最大限、自治体にやらせようと努めた気配はない。
野球の「お見合い」というプレーを思い浮かべた。野手が互いに「相手が捕るだろう」と考えて立ち止まり、間に球が落ちる。どうやら、国も自治体も「法律通り」仕事をしたらしい。その結果、未検査の問題牛が大量に流れ、消費者の不安や不信をあおり、産地や流通が打撃を受けた。
◇現場に背を向け、法律に逃げ込む
とりわけ被災地には、検査を自治体の仕事とする法律は過酷だった。福島県では検査機器が足りず、職員が3月下旬から毎日、原乳や野菜の検体を千葉の検査機関へ車で運んだ。ある職員は「検体が多くて追いつかず、厚労省に相談すると、同省の出先機関を紹介された。私が『宅配便の着払いで送りたい』と言うと『着払いは困る』と言われ、利用をあきらめた」と言う。
食品衛生法という平時の法律は、震災や原発事故という“戦時下”では無力なのに、厚労省は“戦場”に背を向け、同法という“塹壕(ざんごう)”に立てこもり続けた。原子力災害対策特別措置法の20条は、対策本部長(首相)が自治体の長や職員にまで指図できると定め、実際に出荷停止の指示に使われてきた。この“大権”を振るってでも検査を強める構えが官邸にあれば、状況は違っていたはずだ。
「検証」で福島県浅川町の農家、近藤昌彦さん(54)を取材した。汚染牛を出したとしてバッシングされ、心も名誉も傷つけられていた人だが、実は彼が自らわらを調べて通報しなければ、稲わら汚染が広域に及んでいる事実が発覚するのはもっと遅れていた。彼が力なく言う。「このままでは経営が続かない。バンザイするほかないですよ」
汚染が疑わしい食品は流通させない。ただそれだけのことで消費者はもちろん、産地や流通も救えたはずだ。暫定規制値という自らの線引きを超えぬ限り動かない役所。官邸は、暫定的な「安全」と消費者の求める「安心」との落差に気付かなかったのか。一連の事態は「原発事故」「見かけ倒しの政治主導」という二重の意味で人災であり、消費者も近藤さんもその被害者だ。】