私は5月19日のブログで、東京新聞のスクープによって明らかにされたこの国の隠蔽体質を批判した。

  すなわち5月18日の東京新聞は、秘密解除された米国公文書によって、米兵の犯罪について裁判権を放棄するという密約を日米両国が交わしていた史実を明らかにしたのだ。

  この驚くべき密約の存在については、その後政府に対するなんらの追及もなされないまま忘れ去られていった。

  ところがそれから三ヶ月ほどたった8月20日の読売新聞や朝日新聞などが、あらたに二つの事実を報道してくれた。

  一つはこの裁判権放棄に関する事実が、米国側の公文書公開だけでなく、法務省の内部資料でも確認されたという事である。

  つまり法務省刑事局は1953年に全国の地検に通達を出し、米兵の日本国内の刑事事件については慎重に裁判権を行使するよう命じていたのだ。

  笑ってしまうのは、その通達は秘密資料であったにもかかわらず、なんらかの理由で外部に流出し、それを古本屋から入手した国会図書館が、1991年から一般閲覧者に公開していたという事実である。

 もう一つは、裁判権放棄の密約が5月に東京新聞でスクープされたことにあわてた法務省は、遅ればせながら国会図書館によってその通達が公開されている事に気づき、あわてて国会図書館に非公開とするよう求め、国会図書館はそれに従って6月23日からそれを非公開にしていた、という事実である。

  このニュースは極めて重大な意味を持つ。権力による情報隠しであり、憲法で保障されている「国民の知る権利」への重大な侵害であるからだ。

  ところが本来はもっと危機意識をもって政府を糾弾すべきメディアが、まったく動かない。

  そう思っていたら、22日の東京新聞がこれを大きく取り上げた。

  すなわち、閲覧を拒まれたフリージャーナリストの斉藤貴男氏が、閲覧差止めを求める訴訟を起こそうとしているという記事である。

  斉藤氏と東京新聞は、次のように法務省の差止め命令を糾弾する。それに唯々諾々と従った国会図書館の自立性のなさを憂える。

  ・・・そもそも、米兵の犯罪の裁判権を放棄すること自体、国家として許されない事であるが、米国の公文書公開ですでに明らかにされ、また日本の国会図書館でも91年から今日まで公開されてきた法務省の資料を、いまさら隠さなければならない合理的な理由はどこにあるというのか。

  翻って国会図書館の対応も批判さるべきである。国会図書館はその名の通り立法府(国会)の一機関であり、国会議員の資料収集や調査に寄与してきたのみならず、国民の知る権利に答える事を誇りにしてきた。

  それなのに行政府(法務省)からの不当な要求に、唯々諾々と応じ、今頃になって非公開にしてしまった。もう十分に知れわたっており、いまもどこかに出回っている可能性は強いというのに。

 てしまった国会図書館は、政府・法務省に顔を向けるのではなく、「国民の知る権利」を尊重すべきだ・・

  斉藤貴男や東京新聞を孤立させてはいけない。

  あらゆるメディアはこの動きを支持し、斉藤貴男や東京新聞と一体となって、政府、法務省の違憲的隠蔽体質と戦っていかなくてはならない。

  国民は、政府・法務省の卑小さを糾弾し、野党政治家を叱咤激励し、政治の場で政府、法務省が追及されるよう求めていかなくてはいけない。

http://www.amakiblog.com/archives/2008/08/22/#001094


「コメント」

 これも正論だからアップしておきます。治外法権を作ろうとしているからです。要するに日本を植民地化しようとしている最大の証拠でしょう。