ソルジェニーツィン氏が他界しました。
氏の処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』
の一節を引用します。


--「自由がなんです?自由の身になればあんたのひとかけらの
  信仰まで、たちまち、いばらのつるで枯されてしまいますよ!
  ここにいれば魂について考える時があるじゃありませんか!
  使徒パウロはこう申されました、『汝ら、なんぞ嘆きてわが
  心をくじくや?われ、主イエスの名のためには、ただに縛ら
  るるのみならず、死ぬるもまた甘んずるところなり!』とね」
  シューホフは黙って天井を見つめていた。もう自分でも、
  自由の身を望んでいるのかどうか、分からなかった。はじめ
  のころは激しく望んでいた。毎晩のように、刑期は何日すぎ
  て、何日残っているかと、数えたものだ。が、やがてそれも
  飽きてしまった。それに、流刑地とここでは、どちらのほう
  が暮しやすいのか、それすら分からなかった。自由の身にな
  りたかったのは、ただ家に帰りたい一心からだった。ところ
  が、その家に帰してはくれないのだ・・・・--

 (ソルジェニーツィン作・木村浩訳『イワン・デニーソヴィチ
  の一日』(新潮文庫2007年版・249~250ページより)

   上の一節には、氏の精神が良く表れて居ると、私は、
  思ひます。「自由の身になりたかったのは、ただ家に
  帰りたい一心からだった。・・・」と言ふこの箇所に、
  氏の西欧人とは違ふ、ロシア人としての心情が表れて
  居ると、私は、思ひます。一番大切な物は、「自由」
  ではなく、故郷だと言ふ事です。

  この小説の最後の箇所です。


--こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百
  五十三日あった。閏年(うるうどし)のために、三日のお
  まけがついたのだ。--


(ソルジェニーツィン作・木村浩訳『イワン・デニーソヴィチ
  の一日』(新潮文庫2007年版・255ページより)


   御冥福をお祈りします。


2008年8月4日(月)


                   西岡昌紀

http://nishiokamasanori.cocolog-nifty.com/blog/

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■露のノーベル賞作家・ソルジェニーツィン氏死去
(読売新聞 - 08月04日 06:56)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=566789&media_id=20

露のノーベル賞作家・ソルジェニーツィン氏死去
(読売新聞 - 08月04日 06:56)

  【モスクワ=緒方賢一】「イワン・デニーソビッチの一日」「収容所群島」など、スターリン時代を中心とする旧ソ連の恐怖政治を告発した著作で知られ、ノー ベル文学賞を受賞したアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が3日夜(日本時間4日朝)、心不全のためモスクワの自宅で死去した。89歳だった。


 タス通信などが伝えた。心臓を悪くし、闘病生活を送っていた。


  ロシア南部キスロボツク出身。第2次世界大戦に従軍したが、スターリン批判を理由に逮捕され、収容所で約8年を過ごした。実体験をもとに収容所の実態を描 いた中編小説「イワン・デニーソビッチの一日」を62年に発表すると、世界的な反響を呼び作家としての地位を確立。その後、「煉獄のなかで」「ガン病棟」 などを発表し、70年にはノーベル文学賞を受けた。


 73年にパリで刊行が始まった代表作「収容所群島」では、数多くの国民を収容所へ送り、抹殺したソ連体制の暗部を明らかにし、共産主義を厳しく指弾した。


  反体制派としての活動をブレジネフ体制は容認せず、ソルジェニーツィン氏は74年2月、国家反逆罪で逮捕され、国外追放された。その後、米バーモント州で の亡命生活を余儀なくされた。85年のゴルバチョフ政権発足で転機が訪れ、90年に市民権を回復。ソ連崩壊後の94年に帰国した。


 帰国後は、ソ連崩壊後の荒廃を招いたとしてエリツィン政権を厳しく批判し、「ロシアの再生」を求める民族主義的な主張を展開。プーチン前政権に対しては、大国としての国力回復を実現した点を評価していた。2007年にプーチン氏から国家賞を受けた。


阿修羅掲示板
http://www.asyura2.com/08/wara3/msg/556.html

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ソルジェニーツィン死去 ロシア研究家、鈴木肇氏「命かけソ連全体主義と戦った」

戦後の日本では、ソ連の社会主義や共産主義の側面が強調されていたが、ロシアの思想史では実は、スラブ民族独自の発展を主張する保守主義の伝統が強い。ソルジェニーツィン氏は、強固な信念を持ったこの保守主義者だった。

 同氏は対独戦争に従軍した際、スターリン を批判する手紙を友人に送ったことで逮捕され、囚人生活を送った。比較的、刑が軽かったのは、数学者だったからだ。スターリン 死後、フルシチョフ自身が処女作「イワン・デニーソヴィチの一日」を読み出版に協力したことで、一躍話題の作家となった。

 だが、フルシチョフが失脚し、スターリンが再評価され始めると、執筆活動に支障が出始め、収容所の実態を暴いた作品「収容所群島」を国外で発表したことが当局の逆鱗に触れ国外追放となった。米国 バーモント州で約9年間に及ぶ亡命生活を送った後、ソ連崩壊 後のロシアに帰還した。

 同氏は家の敷地内にロシア正教 の礼拝堂を建て正教会 を信奉し、欧米の民主主義を評価していなかった。よき君主が行う専制政治こそがロシアの進む道であると信じていた。独裁的な権力で国家統一と保守主義の復権を推し進めたプーチン氏を支持するのはごく自然なことだった。

 晩年の欧米批判は、バランス を欠いていた感が強いが、命をかけてソ連共産党の一党支配体制の実態を暴き、それを批判した勇気のある行動は評価されるべきである。(談)


【ソルジェニーツィン氏死去】「日本人はソルジェニーツィンを勘違いしてきた」袴田茂樹氏

 青山学院大学教授・袴田茂樹さんの話「日本人はソルジェニーツィンを勘違いしてきた。彼が重視していたのはロシア 精神主義であり、それを体現していた君主制を好ましいとさえ考えていた。彼が共産党体制を批判したのは、それがロシア 精神主義の対極にあったから。また、西側の体制にも物質主義、拝金主義であると厳しい目を向けていた。それゆえプーチンによるロシア 的ナショナリズムの復活は彼にとっては好ましいものだった。共産党の一党独裁に反対した彼がプーチン体制と良好な関係を結んだ理由はそこにあった」

産経新聞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/art/166670/

[コメント]
大手のマスコミは、ユダヤ国際金融の問題を隠すから分かりにくいが、共産主義革命は誰が ロシア に引き起こされたのか。其れは亡くなったソルジェニツインが一番理解していたのである。今度のロシア大統領は、この問題を余り追求しなくなった!!もしかしたら真相を語り、ノーベル文学賞を貰ったソルジェニツイン、口封じの為に暗殺か?死因の原因がわからない

参考ブログ
「英米(三百人委員会)VSロシア」これが現在の世界情勢の核心であると
http://ameblo.jp/syuugyousya/entry-10115466525.html