こんにちはu u*
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最近の私の気づき。
みんな人生というドラマの「役者」で、
それに没頭しすぎて、
そのことに気づいていないんじゃないか、
ということ。
例えば私の場合、
仕事では「
という役をやってたし、
今の夫と付き合ってた時は「可愛くて愛されてる私」
母としては「家事育児に追われて毎日バタバタしてる私」
みたいな感じでその役になりきってた、という感覚。
今、いろいろな情報を自分なりに消化していく中で、
ふと、
つまり、今の私を俯瞰してい見ている視点がでてきたのです。
そうすると、リアルの私ははっとするのです。
「あ、今私、この役に没頭してたわ!」って。
それで、引きで見る。
そうすると、例えば子供が癇癪がひどく、
怒りの感情がうつるように、
で、リアルの自分からしたら相当イラついているのですが、
もう一人の俯瞰してみてる自分に意識をもっていくと、
「“手に負えない子供に翻弄されるママ”
みたいな視点で見てるのです。
そうするとなんかリアルの自分はハッとするというか、
そこで怒りという感情がリセットされるのです。
この視点でみられると、物事は単なる出来事で、
あくまでその出来事に意味づけするのは自分。
思考は現実化する。枠を設定しているのは自分自身。つまり
自分が自分で世界を作ってるわけで、
自分の中に、監督と役者が混在しているような。
心の奥底からなんの疑いもなく望んだ世界は、
今この現実を作り出してるのは、
なんだかそう考えると、自分の世界をどう作っていこうかな?
どうせなら楽しくてハッピーになることだけしかない世界がいいなぁって。
だってどんな世界だって創造できるのですから。
わざわざハードモードの設定にする必要なくないですか?
決して執着するのではなく、リラックスして、心地よさを感じて。
それだけでなんだかすーっとして、