こんにちはu u*

訪問いただきありがとうございますピンク薔薇

 

 

最近の私の気づき。

みんな人生というドラマの「役者」で、

それに没頭しすぎて、

そのことに気づいていないんじゃないか、

ということ。


例えば私の場合、

仕事では「人の目ばかり気にして自分の意見もろくに言えない評価されるレベルにもない私」

という役をやってたし、

今の夫と付き合ってた時は「可愛くて愛されてる私」

母としては「家事育児に追われて毎日バタバタしてる私」

みたいな感じでその役になりきってた、という感覚。

 

今、いろいろな情報を自分なりに消化していく中で、

ふと、映画のスクリーンにうつった自分を見ている感覚が湧いてきて。

つまり、今の私を俯瞰してい見ている視点がでてきたのです。

そうすると、リアルの私ははっとするのです。

「あ、今私、この役に没頭してたわ!」って。

それで、引きで見る。

そうすると、例えば子供が癇癪がひどく、怒り狂ってどうにも手に負えないという状況で。

怒りの感情がうつるように、自分もイライラしてつい大きな声で怒鳴ってしまったとします。

で、リアルの自分からしたら相当イラついているのですが、

もう一人の俯瞰してみてる自分に意識をもっていくと、

「“手に負えない子供に翻弄されるママ”役なかなか上手に演技できてるじゃん」

みたいな視点で見てるのです。

そうするとなんかリアルの自分はハッとするというか、しらけるというか。

そこで怒りという感情がリセットされるのです。

この視点でみられると、物事は単なる出来事で、感情が振り回されなくなります。

あくまでその出来事に意味づけするのは自分。

 

思考は現実化する。枠を設定しているのは自分自身。つまり

自分が自分で世界を作ってるわけで、それを体験してる私は映画の役者のような感じ。

自分の中に、監督と役者が混在しているような。

 

心の奥底からなんの疑いもなく望んだ世界は、実現できる。

今この現実を作り出してるのは、自分という監督が作ったストーリーだから。

 

なんだかそう考えると、自分の世界をどう作っていこうかな?って思いませんか。

どうせなら楽しくてハッピーになることだけしかない世界がいいなぁって。

だってどんな世界だって創造できるのですから。

わざわざハードモードの設定にする必要なくないですか?

 

決して執着するのではなく、リラックスして、心地よさを感じて。

それだけでなんだかすーっとして、清々しさとワクワク感が出てきませんか?