お借りした際に書き写したのですが字が汚く、無精者でしたので書き写しはこの二枚だけ
先生からは最初に修行した団体では、参段以上になると古武術を学べると聞いていました
杖?、棒?の型は見た事がありますが、こちらのどれかではないかと考えています
居合術も見た事があります
洋服、靴履きで野外にて演武、当時全く知らない私にとりまして見た印象でした
釵の話に戻りますが、
「柄頭について本来は切子形球形、釵が市場に出回った頃には切子形球形状が無くなり、殆どが丸形となる、理由はこの部分の製作には、非常に手間暇が掛かるから」
との記載に非常に違和感がありましたので調べたり考えました
先生が習っていた団体の館長が使用していた遺品の画像を拝見しますと稽古用十手の柄頭も擬宝珠になっていまして、釵の大量販売以前よりも釵及び稽古用十手は擬宝珠だったと思います
古い書籍での釵の紹介ですが
この画像を拝見しますと柄頭は切子形状になっていますが、各自の釵のバランス調整をしていたとは書かれておらず、当身を喰わすものであると記載されています
この本を持っている理由は、鎖術の動きの基本が書かれている為です
「この切子形状の柄頭によって、各自の釵のバランス調整をしていたものが、バランスを無視して、大量生産の安易さを選んだものと思われます」
との事ですが、擬宝珠を選んだ理由はそうではなく信仰というか、宗教性が高いと私は考えます
何を書きたかったかといえば、安易な大量生産の釵ではなくてこだわりの釵である事を記したかったのです
私の先生が
「16で空手を始めたか初段を取った」
のどちらかを言っていたがと思いますが、空手を始めるきっかけとなったのが、空手風雲児に影響を受けたと言っていたのは間違いないので、空手風雲児放送中、もしくは終了後に稽古を始めたのならば16で空手を始めたの言葉と一致します
この空手風雲児、当時の放送番組は最低でも2クールは放送されていたが、1クールで放送終了という事は視聴率は余程良くなかったようだが、先生にとって強烈なインパクトとなったのでしょう
私の先生のこの団体での修行歴は11、2年で最終段位は参段
退会の理由は聞いてはいませんが、よく言っていたのが
「空手が古い」
退会理由は古いからではなく、結婚、転居の為に稽古場所が遠くなった事かと思われ、引っ越し先近隣の同流派団体に入協されています
私が話を聞いて当時、驚いた一言が
「空手は芸術であること」
私にとって空手は武道であり、護身術であり、格闘技だと思っていたので
「そんな解釈おかしいだろ」
とは思っていましたが、こちらに書かれている事を読みまして
「成程」
と納得しました
釵をいただきましてから年月もたちましたので、私とすれ違いで入門した道場の後輩の○さんが欲しい、釵の稽古を積みますと言えば、大会実績もありますし譲るのも考えなくてはいけないと思います
現在、釵術太極を素手、釵を持ってたまにゆっくりから素早く動く練習をしてします
動きの精度を高め、いずれは多和田の釵の型を習得したいと思います
やはり先生の釵を使う場合は多和田の釵の型でなくてはなりません
ちょっと古いが、富山市上滝の滝社で稽古した時の画像
偶然でしたが、稽古した日はご存命ならば68歳の誕生日の日でした
転載しました書籍奥付
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ
Ⅲの釵