趣多馬相撲番付コレクションより辰年(慶應四年?明治元年?)九月の番付を紹介いたします
東方番付
西方番付
大関は新宮藩(和歌山県)主・水野忠幹のお抱え力士沖見嶽浪之助
西方中頭五枚目に越中出身力士剱石源蔵の名が見えます
最高位大阪相撲小結、明治三年四月が最終番付で廃業?
出身地は不明
越中力士は他にも1名います
この番付の本場所ですが、当時の治安からして開催されず、幻の番付となりました
以下は酒井忠正著「日本相撲史・中巻」3pより
慶応四年(明治元年)九月、難波新地において大相撲興業の旨、東西二枚横番附の発表はあつたが、九月に慶応を明治と改元し物情騒然たる折柄興行を催した記録はなく、中止したものと思われる。
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この年、戊辰の変に附し江戸相撲を去った陣幕は、同行の千歳川(関脇)、山分(小結)、八雲潟(?)と共に、大阪相撲に参加して当場所の番附に名を連ねた。