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bisui.nihon 美粋書房

『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中

真なる利益の永続軌道

「阿吽の呼吸」なる現象が出現する。相手の期待することが、動作や表情から伝わり、動作を差し伸べ、欲求と対応の動態が生まれる。「いちいち聞かないでも解るであろう」という相互関係を指し、長年付き合えば、互いの習慣や発想、身体の状態などから、良く精神的な面での対話も行き届き身体的反応が出現する。

一々質問する態度は、どこか質問者のエゴを表すようにも浮かび上がり相手の利益を遂げようというよりも、自己のエゴが強く、自己の利益を訴求する態度と映し出される。こんなような現象が利用者側から見る欲求や心象と起こり、良きサービスへの判断が生まれる。「過剰な求めか、不足であるか」サービスの実施の中で心象が起こり、対価との釣り合いをもって冷静な判断へ及ばせる。

しばしば、ボランティアで、後進国の気の毒な実情を写真などで見せて、「我々の活動にご支援ください」等という募りが見られる。例えば、医療の関係者で、子供が飢餓にあっている。何秒に一人がなくなる。と言われる。

子供を作ったのは、現地の人々であり、その量が適正であるのか、飢餓を生む原因の上流へと視線が及んで、真に良好な解決の方法を探らずに、「気の毒だから支援して」なる態度を見せられても、本当に利益を求める態度とは少し離れた供給者利益を追求する態度とも見做されかねない。

一過性の施策をもって、気の毒な現象への偽善的訴求を浮かべて自己生産性を伸ばすような態度と映ると、どこか違和感となり、根本的な原因を探し有効な方法を投じる態度にないと、特定生産者のエゴが前面に出現して、その態度への不快と進む。

根源原因を把握しているのか、その上で自己の技術の有効性を客観視して、支援を求められているのか、こんな思慮が全体観の形成と自己認識を指し、偏狭な自己認識であると、欲求への疑念や不信が起こり、根元の感性の歪さと全体観への思慮の弱さに、健全性を欠いたエネルギーが映る。

「自己の生存欲求でしょう」等と映るか、多角的な視点を浮かべながら、適当な秤にかけられ真相真価が浮かべられる。根源性と全体観と、自己生産性を認識する構図が起こされて、真に利益を追求するエネルギーが出現する。自己の歪な評価へ偏ることなく、全体の構図の中で自己の個性を認識し、適当な態度を出現する制御性が果たされて、のめり込んだ自己欲求に適正を作り、外界への客観的な姿を見せて、違和感の少ない内外関係を生み出す。因果関係の上流的な面へ思慮が及び、真に有効な方法への問いと答えが引き出され、欲求の適正や方法の妥当性を測定する思慮が生まれる。専門分化して、広い因果性や根源的原因への視点が下がると、のめり込みの欲求過多が起こり内外調和から外れる。

健康な感性や欲求に基づき、てきとうな全体構想や直接間接の因果が浮かべられ、自己の有する個性をそれらと勘案し、全体図に配して、客観性を浮かべて、自己認識の適正をもって外界への要望を示す過程において、健康な制御性が映し出される。前進性の施策と後進性の側面への思慮が合わさり、適当な自己の健全性が生まれ、内外の調和性が促進されて、好循環軌道が生まれる。

寡占的な構造や特殊技能から偏狭な感度が強まり、根源性や全体観への探求が萎むと、心理の希薄な物理過多の欲求が顕在化する。こんなような、適正を探す問いと答えの生産領域に、哲学や文化の視座が作り出される。真なる利益を追求し自己と他者との適当な調和性を見出す生滅不可分と最良の生という理想が掲げられ、現況を浮かべ妥当性を測定する軌道が生まれる。

当事者的な対立感情がそのままぶつかり、両者を含んで統制する構図が形成されないと、単純物理の争いを深め、破滅的な現象が加速する事への適度さを求める欲求が生まれて、中長期なる観点と尺度を浮かべ、短期の現象を見る構図が生まれる。

競争環境が激しくなるほどに、何でもありの態度や方法が進み、人間の破綻的現象が増産される。「偽善や詐欺、盗み」という類の行為へ制御がかからず、健全さを喪失し負のスパイラルを回される。これへの適当な対処なしには、根源性の良性は下落して、破滅の道を進める。これへ及ばぬ適当な方法と体系が描かれて、正負を適正に識別する測定の善し悪しへ至り、インフラの健全な維持と向上に及ぶ。

「それはお宅の利益だろう」なる実態が強いのに、「人の利益だよ」と恩着せがましい態度や、誤魔化しの生産性には、歪さが鮮明に出現する。虫けら気質に陥らない健全な作法をもって、文化的質が持続して、永続的プラス性の循環エネルギーが湧き続ける。こんなような欲求を抱かれる人々も少なくないように映ります。火事場泥棒や猿芝居は、容易に見分けがつき通用しない。そいつは僕ちゃんの利益だろう。

「大丈夫ですか?」等と声をかけ、利益を作る態度を装い、実態は「コソ泥だ」という事が少なくない。お宅が「大丈夫ですか?」と、言ってやったらいい。お宅の事だ。