2)良きリベラルの躍動性と健全性 | bisui.nihon 美粋書房

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『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中


供給者内での常識が作られ、それによる供給内での序列が生まれる。生産と分配の構造が作られる。これに消費者の立場が生まれ、消費という受け手の意思によって供給の常識も序列も変化する。確たる技術の中枢性はあまり変化する事はなく、供給も消費も同一性の価値を抱き、細部の仕様やコスト面での変化が生まれ、需給が変動する。

製品・サービスの変わりづらい技術と、改善の相関を指し、時々の環境に照らしてより良い改善の前を向いた努力が図られ、健康な緊張ある人間性へ及ぶ。健康な緊張ある人間性という面に、変わりづらい技術を含み、真っすぐに向いた感性をそのまま塞ぎ込むことなく投じる態度が生の増進になり、同時に滅も生じる。健康な感性を持って堂々と生産努力を果たす事に、歪んだ発想で阻害を齎せるような所に、視点が行くような体質には健康な人間性は映し出されず、生の躍動感を萎ませる。

こうした文脈に、自由主義という感性が当てられ、供給内の基準に組み込まれて、需要との対峙における根本原理に備わり、堂々と健全な競争を果たし潔い態度を持って生滅不可分と最良の生というビジョンが描かれる。変に組織力や管理体制に比重を置き、技術力を軽視するような態度には、平等思想を外した精神性が浮かび、空疎な役職などに過度な重心を置くと活力ある創造性を妨げ、健康なエネルギーの好循環を弱体化させ、中長期に見る人間の創造力を下落させる。

製品についての善し悪しと共に、作り手の性格の在り方が想定されて、生産像と共に人間像が形成され、前を向いて少しでもより良くしようという健康な感性に価値を抱いて生産努力を客観的に測定し、消費と分配に反映して活力ある社会秩序が進む。こうして下限的な制約が固められ、盗みや詐欺に走らず、これに及べば淡々と裁きを受けるか、自主内発の自律を強めて制御される。ここが曖昧になって、技術力を利己的な欲求過多で用い暴走と働くのが、感性的な適正を欠いた物理依存症という姿を指しみすぼらしい性質への嫌悪感が高まり、悪い意味の保守という様相を伺わせる。この常識が強まると、創造力よりも物理力が優先され人間の健康な性質を崩し、堂々と対象に対峙して利益を向上させる力を阻害する。

こんなような基本スタンスが置かれながら、製品サービスの適正な仕様を構想すると共に、作る過程への行動原理が作られて、生産理論と消費理論と分配の反映というシステムを構成する包括図と描かれる。過去の貸し借りなどから供給内の仲間意識などが作られる面も起こるものの、貸し借りというよりも正当な根拠を見失わず、それを正当化の基準に浮かべ、動的流れの前を向いたエネルギーを基調とした性格にあって清々しい健全な性質が進む。

生滅不可分性と最良の生を作る上で「潔さ」という点に根源的な感性が映り、ここが腐るほどに堂々とした創造性を欠いて、副次的な技術に逃げる体質に及ぶ事は健康とは映らない。感性的良性を重んじるというよりも、物理性に依存した精神性と解される。

こんな点からインフラの性格が形成され集団の体質が生まれる。堂々身元を明かしリスクとリターンを得る構造があらゆる前提要件になり、これを壊す様な手法は何ら正当な理由は浮かばず、何とでも言い逃れを出来るような状態には適正を欠き生命への軽視と映る。保守という感性の歪んだ空回りとも思われる。傲慢さの一種を指し健全性の弱い手法や判断は前を向いた潔さを喪失させる。

集団の主導者にどんな性質が備わり、どんな未来ビジョンを志向するか、そして運用面で、質実が検証され、感性と体と観念の繋がりをもって真相真価が測定される。後ろばかり向く時代環境か、前進的な活力を求める時代環境など、背景の構図に適する基準が導出される。変な意味の保守は、物理性を本質に内蔵する堕落や醜態と映り肥満と解される。政治主導という言葉が踊り、保身のための権力の活用という事態には、欲望の抱き方と力の活用方法に適正を欠き、責任の満たない状態と認識される。

配置に求められる役割や生産の規定を整理して、内外へ訴求し堂々と基準を推し進める感性に適正が映る。この哲学的な基準の形成が整わず、中途半端な生産規定で、よく考えが整理されないまま、配置に就くと、自己に甘く他者に厳しい解釈を進め、利益の増進軌道を下げる。真摯な対象との対峙と積み重ねから、原理原則や生産規定が洗練されて整合性の良い体形が描かれる。正負の対面と真摯な原因追及と改善が、観念の構成へ及び、質実の良い感覚と観念を繋げる生きた体系と描かれる。

この動力源は健康な感受性に置かれ、平等思想の持続に自他との真摯な対峙が執り行われ、有限性を無限に引き上げる。生の最良性への多様な解釈が生まれ、各自の正当化の論理や解釈に違いが生まれる。単純な二項対立の生滅不可分という感性から、最良の生を遂げる答えと解される。この道理や根拠となる根源的な問いが深められ、本書の場合はそれを「七色の虹の架け橋」等と集約されます。保守とリベラル、維持と変化、安定と成長、生と滅、快不快、善悪美醜という対立と調和を果たす原理への模索が進み、根源的な哲学が作り出される。

対象に真摯な態度を図らず、物理性に縋る手法や行為に外れる事のない感性に良性が映り、変な根の深い恨みや辛みというしこりを残さない潔さを出現させる堂々と矛盾を解決する道が生まれる。大きな力と配置に及ぶまでの過程で、こんなような問いと答えが続けられ一定の見解に辿り着いて、大きな力の適正な制御力が起こる。物理性に縋って力を作り上げるような規則性が強いと、創造性が深まらず、原理原則の向上が成されず、よく考えられた見解が纏まらない。人が作ったような借り物の運用で留まり個別場面で都合の良い運用に流れる。坊ちゃん的な性質や物理依存症は誤魔化しきれず、永年染みついた習性や習慣となり人間性を表す。