人間と見做される本質的な性格として、自己主体性と制御という面が浮かび上がる。自己の考える良好な人間像が作られ、それを基準に外界との相関を作り上げようとする態度が進められる。過去の正負の体験から、適当な外界との対峙や関係の作法が原理のように確立され、その基準をもって適当な相関を作り上げる事へ及ぶ。多様な人々がいるのが現実であり、可笑しな感性には、プラス型の奉仕的な利益を提供するような力は向かわず、なるべく関わりたくという自然反応が強まり、必要最小限の関わりに留める。実害が生じるようでは、これでは済まず、被害に応じて賠償させる法基盤が整いながらも、うまく作用しない事が少なくない。悪性が起こるであろう前兆が察知されれば、関わりを避け、同質的な人々との積極的な相関を作る態度に賢明さが生まれる。感性的な異質さは、論理で説得して直るような事ではなく、長年の規則性から作られる性質に相当し、一朝一夕で修復する事はなく、あまりかけ離れるようでは、関係が深まる事には及ばない。このような個別相関性と、それが生まれる集団の性格や領域の特徴が掴みだされ、万人的な共通性と、特定集団の常識とを比較し、全体概念図と個別性という図式をもって良否の適正が映し出される。各種の事件として局所現象が表出しそこで見られる現象の因果性が洗い出され、悪性現象生み出すような体質や領域の性格などが浮かび上げられる。世論が高められ実際への精緻な分析や観測をもって現象の吟味を図り、問題の原因が精緻に特定されて改善圧力の高まりと具体的な要望が投じられるか、自己内発の認識を改められて分母的な標準感覚とかけ離れない修復へと回り、局所現象に反映させる事情の周期が進む。犬猫と人間の違いは、外圧に寄らないと改善の創造力が進められない事にあり、人に強く言われないと自己の基準の形成と運用が図られず、一過的な且つ暴走的な利益を求める態度が治らない。予めの基準が形成され、内外へのお知らせし、検証と改善の周期を内オズして、自律有る主体性像の実際が掴みだされる。現代的には影響力が大きくなるほどに、自己内発的に基準を形成し明示して積極的に内外へ自己を伝える生産努力が生み出され、言われるまでもなく自己生産性の基準や理念と運用体制を出来る限りオープンに表し信憑性を高める作為が成される。後ろめたい事が多いほどに積極性は起こらず、なるべく情報を出さずに、都合の悪い事へ触られぬような閉鎖性が嫌でも外界へ伝わる。これが許される範囲の影響と利害関係が広がって自主内発的に自らを公開する態度との違いが生まれ、集団や領域への心象が作られる。堂々と内外へフェアな態度をもって基準と適用の公平性を果たすような姿勢に好感が高まり自然と影響力も拡大し、建設的な気持ちの良いエネルギー循環の広がりが進む。そうした態度が空間の気持ちの良い秩序を牽引し、負を正を上回る力と及んで拡大生産の基調が生まれる。歪な発想や手法をもって拡大させる様な態度に寄らず堂々と健全な感性を根にしてオープンな態度をもって、生滅不可分の認識と共に最良の生を進める主体性が生まれる。マスコミなどへ関心を持たれ変なイメージが増進するような事に対して、自ら良い機会と掴んで良好な常識を表す態度に信用が積み重なる。逃げ隠れするような態度は益々イメージを落とし消極的な姿では世間がマイナスに映し出すのも致し方なく、良い機会として自ら哲学や理念と実際を公開する感性にプラス心象が生まれる。後ろめたい事が無ければ堂々とすればよいだけに伺える。愚図は愚図を認められず、姑息な手段に逃げ隠れする傾向と映ります。言わずとも自己の性格を内外へ強調する事に及ぶ。