ボンボンに政治をやらせると、自己中心的な統治に進む。結果が悪くてもそれは自分の原因ではなく「外界は馬鹿だから」と結論付け、悪い結果への反省や分析、探求に進まず、創造力が深まらず広がらず、成長しない。外界を知り、どんな意思や欲求があり、何を望むかを伺いながら、自己の創造力から生まれる効用と外界の期待を適合させ、相互の納得感を作り上げ、共存を果たすという集約力が生まれない。自己の意思ばかりに偏って、外界の要望を伺わず、独り善がりの価値観に執着し、支持が得られないのは「外界が劣るから」と結論付ける。何でも資源を与えられて育った性格は、資源を得る為に必要な創造力を起こす力が高まらず、独り善がりの我儘という性格に留まり、良好な統治へ連ねる力が作られない。物理性に偏り、物理力で従わせる論理が強く、一過的な支配は出来ても長く良好な相互の心理を作り、統治する事へは及ばないと想定されます。エネルギーを得る為には、外界への利益を発見し、それを実現する創造性が深まって、外界への要望を遂げ自己のエネルギーに回る循環をごく自然な道理と見做して、フラットな人間平等の意識に根差した感性が作り出される。幼少期からの躾と組み込み、成人においてもごく自然な常識と強まり、外界への利益を提供する創造性の持続的な力が湧いて、単純物理の制御性から感性や心理の良好性を遂げる物理性の利用という定式が常態する。これが芯に固まらずに、盗みや詐欺に逃れ、一過性の誤魔化しによる糧の入手へと外れ、容易な方に外れた感性が常識化する。この体質に社会システム上の大きな配置を与えるほどに空間の常識は歪化して悪性の文化へ陥る。物理依存の激しい力の活用が進んで、力に相応しい責任を課す態度が育まれず一方向性の欲求過多の構造が進行して二極的な格差が広がる。
権力や財力に重心を備えず、創造性が先んじ、補完作用としての物理力や権力という構図において、健康なエネルギーの出現と持続性が叶えられる。管理技術へやけに走り、ピンハネ型の発想を常として、物性依存の制御が進むと、健康なエネルギー循環へ至らず、良質なエネルギーの持続的有機性は生まれない。
外界への利益を遂げる創造性が強まって、良好な効用を遂げ良きエネルギーが回る循環系を定式に持つ創造力が生まれなければ、エネルギーは回されない道理を固めて、良質性の持続的出現の原理が固まる。盗みや詐欺に走るのは真っ当な創造力と外れた肥満症からになり、肥満に陥れば余分な栄養は削ぎ落として、筋肉質な体形へ及ばせて良質化の力が湧く。こうした根源的なエネルギー循環の原理が強まるほどに、自然な快適性を持つエネルギー循環が促進される。ボンボンを固定せず健全な性質が社会の有用な存在となり、然るべき配置や構造が作られ健康な秩序が持続する。これを適正に観測し、負は削減、正は増進という基準と適用が進んで良好なビジョンと描かれる。万人共通性の基準と固まるように、幼少期からの常識と組み込み、或いは現況を映し出す鏡と備え、方法へと反応が起こる事に適正が生まれる。人間の健全像と固まり根源原理と備えられ、これに連なる各種制度や生産、領域の形成を進めて不動性の基準と応用の構図が生まれる。多くの人間が抱く真っ当な常識感覚になり得るものと思います。経済や政治、教育の根本概念と及んで、一貫性を持つ原理と反映させ、健全な社会や自然の相関へ進む。世界共通の普遍原理と及んで基礎基盤の盤石性の基に、自由度の広がる許容性や寛容性が起こり生命の良好な安定と躍動の図式が進む。変わりづらい根源的基礎の共通性の上に、時々の共通や個別が生まれて、安定と躍動の枠組みが形成される。