伊志嶺吉盛・八重山商工野球部監督
「え?みんなやめた!?」
“監督のやり方にはとてもついていけない”と部員が一人もいなくなった弱小時代の八重山商工高校。
怒号怒声の嵐での厳しい練習。
『八重山商工 部員減で批判中傷も』
マスコミは監督の批判記事を書き、市議会でも監督の厳しい指導が問題になりました。
監督の自宅には「監督辞めろ!」のイヤガラセ電話が何本も…
しかし伊志嶺監督は信念を曲げませんでした。
「楽しい練習をして甲子園にいけると思っているのか」
「あいつらは甘えているだけさ」
「あいつらは必ず戻ってくるよ」
彼は誰もいないグランドで子供たちを信じてたった一人で待ち続けました。
野球に限らず、何か大きな目標に向かってこれまでにないやり方や経験の無い方法をとると必ず周りからの反発が起こるものです。
特に、何も理解できていない人、知識も思い入れも無い人、外野から目に見える一部分だけを見ている人などから批判や中傷は起こりやすいもの。
もし伊志嶺監督がこういう無責任で短絡的な外野の圧力に負けて「お坊ちゃま野球」に方向転換していたら八重山商工野球部の子供たちは果たして幸福だったでしょうか。
私は、たとえ甲子園に行けていなくても伊志嶺監督のもとで野球ができた子供たちはとても幸福だと思います。
部員が0になっても何故監督は指導法を変えなかったんでしょう。
それは彼が“信念”を持って野球を教えているからに他ならないと思います。
「子供たちが将来どこへ行ってもヘコタレない強い人間になってもらうため…」
批判によって指導法を変えるということは反対に信念も矜持もない、いい加減な野球をしていたということ。
伊志嶺監督はそんないい加減な監督ではなかったからこそスパルタ方式を頑なに止めなかったんだと思います。
そういえば、同じように無名校から智弁学園をあそこまで強豪校に作り上げた山本集監督もスパルタ方式でした。
彼の場合はそこに体罰もありましたからそういう意味では伊志嶺監督以上です(笑)。
山本集監督も相当厳しい批判を受け、マスコミも騒いだため結局は退部になりましたが、当の“被害”を受けたはずの教え子たちは、その後何年も山本監督を慕い続けたそうです。
伊志嶺吉盛
彼のやる野球は素晴らしい野球…
心底そう思います。
いやあ
野球って本当にいいもんですね