たまには野球以外の話しでも。
昨日は練習が休みのため、本当に久しぶりに・・・
もう10年ぶりくらいになるでしょうか
有馬の湯へ行ってきましたがやはり有馬は名湯ですね。
すっかり疲れが取れ、体中の関節の痛みもだいぶ楽でした。
市営の『金の湯』でしたがここは子供のころにしょっちゅう行っていた温泉場です。
玄関に有馬温泉の歴史案内が掲示されていましたが、第34代舒明天皇や第36代孝徳天皇が乙巳の変の後に阿部倉梯麿などを伴って行幸したという内容が書かれていました。
孝徳の子の一人はあの悲劇の有間皇子で、その名の通り孝徳が妃の小足媛と有馬に滞在中に生まれたためその名を付けたとされています。
でも、なんで聖徳太子の名はないのかと疑問に思い、係員に聞いてやろうと思いましたが、ふと気がつきました。
聖徳太子がノイローゼで湯治に行ったのは有馬ではなく松山の道後温泉でした。
もう少しで恥をかくところでした(笑)。
私は万葉集が世界史上最高の文学だと信じている者の一人ですが、有間皇子といえば同歌集での有名な歌があります。
磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
読み:磐白(いはしろ)の、浜松が枝(え)を、引き結び、ま幸(さき)くあらば、また帰り見む
意味:磐白の浜の松枝を結んで幸いにも無事だったら、またここに戻ってきて見たいものだ。
皇位継承の争いに巻き込まれた有間皇子は、中臣(藤原)鎌足と中大兄皇子(天智天皇)の命を受けた蘇我赤兄に天皇への謀反の罪をでっち上げられ捕らわれると、牟婁の温泉に行幸中の斎明天皇のところへ連行され釈明。
続いて中大兄皇子の尋問を直接受けますが、「天と赤兄と知らむ、吾全ら解らず」と述べただけでした。
その帰り道、海南市の藤白坂で絞首刑とされてしまいましたが、この歌はその直前に詠んだ歌です。