小さいころから阪急ブレーブスと巨人のファンでした。
3年生か4年生のころ、阪急の試合で西宮球場のデーゲームはほとんど見に行っていたと思います。「阪急ブレーブス子ども会」に入会していたので入場は無料。当時西宮球場までの電車賃が子供20円、往復40円でした。
40円を握り締め、お金がありませんから水筒に水を入れて持って行きました。お茶ではなく水です(笑)。自分で用意しましたからお茶より水のほうが手っ取り早いわけです。あとはどれだけお腹が減ろうが我慢です。
当時の西宮球場といえばそれはもうガラガラで、いつも外野に野球なんかどうでもいいのであろうカップルが2、3組いるのがやけに目だっているような様でした(笑)。
観客が少なく今のように太鼓やラッパの応援もありませんでしたからベンチの声や選手の声が丸聞こえです。
「もっと前や!もっと前や!もっと前や!こらあ!土井っ!」
「さっきから前でとるやろがっ!」
「ボケ!せやからもっと前や!あと一歩前なんじゃっ~!」
今でもはっきりと覚えていますが送りバント警戒での太平洋(現西武ライオンズ)のキャッチャーと1塁手の土井選手のやりとりです。このころに野球はキャッチャーが動かすものだということを知りました。
福本選手が1塁に出塁するといつも子供たちから「盗塁!盗塁!」の掛け声。福本選手は子供たちの方に向いて「次の球で行く!」、そう言って本当に言葉どおり盗塁します。
そんな時代でした。
試合のない日に、当時のNO1遊撃手大橋譲選手の自宅にサインをもらいに行き、なんと中に招き入れてもらって人生初めてのレモンスカッシュをご馳走になったこともあります。その時は遊びに来ていた大熊選手もおられました。
「コラ!いただきますは?」
「はい!いただきます!」
「ごちそうさまは?」
「はい!ごちそうさまでした!」
それ以外にも、それまで使ったことのないような敬語を初めて言わされました。
正座で(笑)。
奥さんから電話番号を教えてもらいたまに電話もするようになりました。
今ではとても考えられないですね(笑)。
そのころの私のプロ野球選手への印象は
“メチャクチャ恐いけどやさしいおっちゃん”。
兎に角、彼らに憧れましたね。