ボークで思い出しました。
今、春の選抜高校野球で連日熱戦が繰り広げられていますが、
高校野球の中で私にとってこれほど泣けた試合はありませんでした。
それは今から10年前、
98年8月16日、夏の甲子園2回戦。
宇部商VS豊田大谷(愛知)。
2―2の延長15回裏、豊田大谷の攻撃は無死満塁。
ここまで素晴らしいピッチングで投げ抜いてきた2年生エースの藤田。
彼にとっての悪夢はカウント2―1からの4球目に起こりました。
試合開始から、3時間52分。
その瞬間、甲子園は突然の静寂に包まれ
選手も観客も唖然とし… そして悲鳴へと変わりました。
試合終了後、呆然とし続ける藤田投手におもわず駆け寄る相手投手。
彼は一体なんと声をかけたんでしょうか。
いやあ、
野球って本当に
いいもんですね
数年前の西日本新聞より
(以下引用)
「野球への情熱捨てず」
「友達が僕を紹介するときに『あのボークをした人』と言えば、初対面の人でも分かることが多いんです。おかげで『ボークの人』って言われています」。藤田修平(23)は笑った。
98年8月16日、夏の甲子園2回戦。2年生の藤田は宇部商の左腕エースとして豊田大谷(愛知)と戦った。2―2の延長15回裏無死満塁、カウント2―1からの4球目、セットポジションに入ろうとした藤田は動作の途中でやめてしまう。その瞬間、両手を広げる林球審。「何が起きたのか分からなかった」。3時間52分の死闘は突然、幕を下ろした。
二塁走者にのぞかれている感じがした上本達之捕手(現西武)は、試合終盤にサインを変更。問題のシーンでは外角球を要求するサインを出し、少し遅れて内角球のサインを出した。普段、サインは1度だけ。2度目のサインがボークを呼んだようだ。が、藤田に明確な記憶はない。「内角直球で三振をとるつもりだったけれど、後はよく覚えてないんです…」。ひたすら「3年生に申し訳ない」という思いだけが今でも残っている。
試合後、先輩たちから「気にするな。来年、また甲子園に来い」と励まされ、立ち直った。夏の甲子園80回目で史上初のサヨナラボーク。翌日の新聞に大きく載り、詳細な解説もあった。丹念に読み、自宅ではビデオで確認した。「だれが見てもボーク。逆に、あれだけ投げられて自信になった」。不思議とショックは残らなかった。
失敗は力となった。脚光を浴び、応援してくれる人も増えた。「あれがなかったら、野球を続けていなかった」。3年時は甲子園出場を逃したが、プロ入りを視野に福岡大へ進学。3年春に左肩を痛めて通算2勝1敗に終わったが、野球への情熱は捨てなかった。
昨年10月、福大を中退して三井金属関連の彦島製錬(山口)に入社。強豪の軟式野球部に所属するには人事異動がある大卒ではなく、高卒として入社する必要があった。卒業に必要な単位の7割は取得していたが、両親や上本にも相談した上で決断。「自分を必要としてくれる人のために野球をやりたい」。銀粉や銅粉をこん包、発送する仕事をしながら、“ボークの人”は復活マウンドを目指して肩のリハビリに励んでいる。 =敬称略 (中野雄策)
(引用以上)
東淀川大会まであと27日!