もう、夫のいる生活には戻れない

 

 
夫が家を出て、1ヶ月が過ぎたお父さん
 
私は、日に日に元気に明るくなっていったニコニコ
 
夫のことで泣くことも少なくなり、良く笑うようになっていた。
 
私が笑うと、子供たちも良く笑う爆  笑ゲラゲラ気づき
 
「お母さんが笑えないと、子供たちも笑えない」としみじみ感じたタラー
 
 
別居生活は、『非日常』からすっかり『日常』になっていた。
 
平日は、私と子供たち3人の生活ニコニコニコゲラゲラ
 
休日は、夫が家に来て夕飯を一緒に食べて、夫だけ帰って行く生活お父さん
 
 
別居して最初の休日に夫が帰ろうとすると、
『お父さん、帰るん?泊まらないの?ニコ
と子供が聞いた。
 
『うん、帰るお父さんと夫が答えると、
 
『ふーん、気つけてねーニコバイバイと子供たちがあっさり手をふっていた(笑)
 
 
この『家族の形』が正解かどうかはわからないけど子供たちはとりあえず大丈夫のようだったキョロキョロ
 

 

夫は休日になると、家に早めに来て、晩ごはんができるのをリビングでテレビを見て待っていることが多かったお父さん

 
夫が出て行ったあと、息子が個室をほしがっていたので、夫の部屋を息子の部屋に変更した口笛
なので、夫が家に来ると常に夫がリビングにいる状態になったアセアセ
 
私は、夫が家に居ると落ち着かなくて、いつでもいい家事をして時間をつぶしていたキョロキョロ
 
夫は、子供たちと必要なことだけ話すと、今までと変わらずテレビばかり見ていたお父さん&テレビ
 
 
私は、夫が家に来る日がだんだん面倒になっていったえー
 
 
この頃にはもう、『夫のいる生活には戻れないな』と思っていた。
 
夫と二人での食事にも当然行かなくなっていた。
 
 
私は、これから子供と3人でどんな風に生きていこうか考え始めた。
 
私は、結婚してから専業主婦期間が長かったお母さん
 
数年前からは、子供たちが学校に行っている間だけ近所でパートをしていた。
 
独身の頃は、ファション業界でバリバリのキャリアウーマン(死語ww)だった真顔
20代で父親の給与を超えるほどもらっていた札束
 
しかし、アラフィフになった今、その仕事に戻ることは考えにくい笑い泣き
 
私には大した資格もなかった…アセアセ
 
 
これからどんな仕事をしていこうか‥ボ~っと考えていたら頭に浮かんできたのが…
 
『セラピスト』だった電球キラキラ
 
 

つづく

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございましたニコニコ

 

今日も皆さんに幸あれ~キラキラ