21.10.17 松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その4 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

松山城 レポのその4になります。

 

 

その3のレポ

 

 

 

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見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル

現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ

跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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大手道をかなり登ってきました。

強烈な太陽光を浴びていますが、いよいよ 本丸の石垣 が目の前に見えてきました。

 

 滅茶苦茶太陽光浴びまくりアセアセ

 

 

 

滅茶苦茶低すぎる 石垣 を発見!

上の画の反対側にあったような気が…。

 

 あくまでもウル覚えアセアセ

 

 

 

本丸の石垣の真下に取りつきました。

教科書の様な(言い過ぎ)打込接の布積の石垣

太陽の角度が低い位置から出てきている時間帯ですので、かんり苦心していた気がします。

 

 真下から見ているので要塞感があります。

 

 

 

石垣の南側の隅部です。

柵があるので、真横から見る事ができませんが、この角度からでも、算木積

なっている事は十分に確認できますね。

 

 やはり隅部は真正面から撮りたい性質です。

 

 

 

この本丸の石垣を廻りこむ形で、大手道は進んでいきます。

ここでも直進させない工夫がなされている訳ですね。

で、この石垣の左(北)隅は、他の部分より高くなっています。

 

 この背後には…。

 

 

 

でもその前に。

廻りこむ途中からいよいよ本丸の建造物が見えてきました。

筒井門 です。

この角度から見るのは、今迄、気づかなかったのでしょうが、初めてです。

この画角からは、大手道を櫓門上から監視されている様に見えますが、手前の

野面積の石垣 上に塀があったのならば、視界からは隠されますが

どうだったんでしょうか。

 

 大木が伐採されている形跡があるので、気づく事もなかったのかも。

 

 

 

廻りこんだ…廻りこめていませんが、ここに 本丸の大手門 がありました。

正面に廻りこむと、太陽の直撃を受けてしまったので(その画はボツです)

残念ながらこの位置ですアセアセ

尚、古地図には、櫓台状のものがあるにも関わらず、櫓門ではなかった模様です。

ただ、最初から書いている古地図というのは『亀郭城秘図』というもので、これは

幕末に松山城を描いているので、築城当初から変化した事も否定できません。

 

 この場所でも、ギリギリ逆光を回避している程、正面は壊滅的な画でした。

 

 

 

大手門跡の真下まで来ると、足元には 礎石 が見られました。

この本丸が、破壊を免れた事を物語っていますね。

 

 高麗門でも建っていたのでしょうか。

 

 

 

この大手門を超えると、左(東)に折れ曲がっています。

枡形虎口 になっているんですよね。

こう見てみると、今迄狭いと思っていた大手門の間口ですが、案外、幅を持たせていて

広いですね。

 

 ポリシーに反して、大手門を反対側から撮ってしまいましたアセアセ

 

 

 

ここから東を見ると…観光客がドンドンやってきていました。

本当は、この東にある遺構を見たかったのですが…。

仕方ないので、北に視線を移します。

そこには、太鼓櫓 、そして奥には 天守小天守 が見えます。

定番の撮影スポットですね。

 

 無人の時間帯を上手く利用しまくっています。

 

 

 

少しだけ近づいてみます。

太鼓門が傾いて見えるのがガーン

 

 この時間帯は本当に貴重でした。

 

 

 

打込接の石垣 上に乗る太鼓櫓に、今度はスポットを当ててみます。

登城路はこの太鼓櫓の真下で、180度曲がっているのですが、そこを睥睨する

形になっています。

戦災で失った太鼓櫓ですが、1973年に木造で再建されました。

従って、私より年上なのですが、約50年でイイ色合いになり、現存建築物と

言われても遜色がない雰囲気になっています。

 

 青空に映えますなぁ~。

 

 

 

この道の反対側(西)の 低い石塁 を狙います。

上で大手門前の画から見た石垣の反対側になります。

ここには 真っ直ぐ登り、途中で両サイドに登る形の 雁木 が見られます。

やはり石垣上には塀があり、その隣が 犬走り になっていたのでしょう。

 

 雁木と言うべきか、合坂と言うべきか…。

 

 

 

太鼓櫓台の真下(西)より先は立入禁止で柵がされています。

ここが 中ノ門 跡になります。

以前は、ここは囮に様な場所で、太鼓門で真下で折り返す本丸への道ですが

天守などが見える為に、ここが本丸への道だと錯覚させたのではと思っていました。

ただ、10年ほど前の発掘調査で、この門は二之丸から本丸への虎口だと判明したのです。

その時のレポは下に載せておきますが、この中ノ門までの道は、現在、存在しません。

謎が多い門ですが、その時には、推測で逆襲路だったのかと書いていますね。

今の推測では…判りませんアセアセ

確かにこの先は、犬走り になっているので、乾門辺りまで達しそうですけどね。

 

 誰もここにはやってきません。

 

 

 説明は…以前の説のまんまです。

 

 

中ノ門のレポ…中のリンクは既に10年以上経っているので切れています。

 

 

 

少し下がって、再び中ノ門跡を狙います。

こう見ると大手門から折れ曲がって、登城路を正面を進んで行くと、この様に見える

訳ですから直進してしまいそうになるのも頷けますよね。

もし、奥の柵がなければ今でもそうなりそうですもん。

ちなみに、中ノ門跡前にある石垣風のものは、防火設備です。

 

 重要文化財がある場所の防火設備って日立のイメージが強いですね。

 

 

 

太鼓櫓の隅部はキッチリと 算木積 になっていますね。

その途中には 矢穴痕 も見えます。

 

 途中で少しは破損している箇所もあるが…。

 

 

 

太鼓櫓を見上げる形で見ます。

本丸に入っていますが、連続した虎口群への、ランドマークの様な存在の太鼓櫓。

この松山城の中でも好きな建物の一つなんです。

高石垣上に乗っているのを見ると『守ってみせるきんグッ』と言われている様な気が

するんですよね。

 

 

 

 凛々しい姿が美しい。

 

 

 

太鼓櫓下から、大手門跡方面への道を見てみます。

これも、丁度、無人の時間があったので狙いました。

何気に石垣脇と、道を横断する形で 排水路 が残っていますね。

今迄ならあまり気づかない部分ですが、城歴もかなりの年数になっているので

こういった所にも目をつけれるようになりました。

 

 遠くに松山市街がチラ見していますね。

 

 

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その4はここまでです。

ここからはテクニカルな虎口群が待ち構えています。

次回もお楽しみに。