約2年半ぶりに四国脱出!!! | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

大変、ご無沙汰しております。

またまた、ブログ更新を中断しておりました。

獅子ヶ城のレポの途中になっていますが、この後の

ネタが尽きた訳ではありません。

書かなかったというだけです。

ただ、一度休んだせいで、ブログを書こうという意欲は

かなり減退してしまいましたがアセアセ

 

そんなこんなで、久々にブログを書く訳ですが

続きを書く訳ではありません。

必殺のチラ見レポです。

このGWに、久しぶりに四国を脱出して

城巡りをしてまいりました。

行き先は、石見と長門+周防。

山陰自体、あまり行った事がなく、人生で3度目。

それもどちらかと言えば、鳥取や島根東部だけで

島根西部や山口北部といった辺りは人生初でした。

 

それにしても、行動制限がないとは言いますが

まだまだ、おっかなびっくりの状態で旅に出てきました。

各所で観光客が戻ってきており、結構な人が

いましたからね。

高速道路も、夜中に走ったにも関わらず、スゴイ

通行量だったのには驚きましたし

かなり運転中は疲れました。

また、城を巡っていても、人がそこそこいらっしゃり

ディスタンスを保つのには気を遣いました。

 

ただ、城にいざ立ち入ると、荒々しく、シャッターを

押しまくっておりました。

3日間、城巡りをするのが久しぶりで

そこがかなり心配でした。

やはり、バテるのが早くはなりましたが

それも、遺構を見ると疲れが吹き飛ぶ感覚は

変わっていませんでした。

 

では、メジャー所が多かった城巡りでしたが

写真数枚と共に、チラ見レポとします。

 

 

 

 

 

4時間の睡眠を取って出発し、最初に向かったのは

山陰の小京都を見下ろす場所にある津和野城

津和野に入る、山道を降っていると、いきなり

山上に石垣が朝日に照らされ登場したのは

感動ものでした(写真は撮ってないけど…)。

で、城の感想としては、よくある中世城郭の上に

近世城郭を築いた城ではありますが

後者は高石垣や複雑な導線を楽しめましたし

エリアが非常に広い後者は、多重堀切や

出城部分である中荒城で見られる畝状竪堀は

圧巻の一言でした。

また、木々を伐採するなどして、城下からも

勿論、城内からも『映え』るようにしている

地元の方々の努力を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お次は日本海側に出て、益田市内へ。

そこにあるのが七尾城です。

能登ではなく石見ですけどね。

以前から縄張図を見て、行ってみたかった城なんです。

それは形状の違う、畝状竪堀があるから…

なんですが、実際行ってみると、片方へ行く進路は

比高差がある堀切によって遮断され

残念ながら行く事ができずガーン

もう片方はロープを辿って見る事ができましたが

中荒城のそれが感動的だった為に、ちょっと…。

それでも、主郭への腰曲輪+切岸は要塞感が

しましたし、二つの尾根を丸々城域にして

大きさもかなりのモノであると実感できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、七尾城は益田氏の城ですが、その居館が

益田川を挟んで反対側にある三宅御土居です。

土塁の東西部分が残っているのですが

以前はお墓だあったのあろうという事が

一目瞭然となっています。

国指定史跡となったので撤去してしまったのでしょうか。

それでも、住宅地内で土塁が残っているのは

墓地だったからというのもあるでしょうけどね。

 

 

 

 

 

 

2日目も勿論、早出特打。

向った先は、萩城です。

萩と言えば『幕末』を観光資源としていますが

幕末は昔は興味があったのですが、今では

ほぼ皆無。

しかも長州藩が好きではなかった為

殆ど興味がありません。

そんな、長州藩の政庁であった萩城は色んな姿を

見せてくれました。

先ずは指月山の山麓にある平城の部分は、非常に巨大な

天守台や、枡形虎口を設けていました。

また、雁木や合坂も多用しており、マニア目線でも

かなり嬉しい限りでした。

指月山頂部の山城の部分は、

広くないのですが、枡形虎口に、周囲は石垣で固めている

のは流石でしたが、それより残念石の多さには

驚かされました。

そして日本海を望む海城と言える部分は、城の東側の

海岸線に沿って積まれた石垣や櫓台を見ると

かなり壮観でした。

城下にある現存建物や再建建物を見る時間がありましたが

一番見たかった、御船倉は見事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この萩城内(三の丸)にはもう一つ現存遺構を持つモノ

がありました。

菊ヶ浜土塁です。

女台場とも呼ばれるそうですが下関戦争後に

奥女中や武士の妻などが築いたモノだそうです。

残っている部分は、往時より小さくなっていると

思いますが、なかなか高い土塁でした。

 

 

 

 

 

 

今度は山口市内へ。

山口と言えば大内氏が連想されますがあ

傀儡であったとはいえ、その大内氏最後の当主であった

大内義長が築いたと言われる高嶺城

山口盆地を一望できる立地する城ですが

基本は曲輪を尾根上に展開する城なのですが

大内氏が滅び、毛利氏が接種後に積んだであろう

石垣が主郭部中心に残っており、これは

なかなか見応えがありました。

そして、破城の際に見られる、隅部のみを

破壊する場所もありました。

 

 

 

 

 

 

 

この旅最後になったのが、2日間の宿にしたのが

浜田駅の近くで、3日目の早朝に歩いて特急車両を

撮りに向かいました。

こちらがスーパーまつかぜ。

 

 

 

 

 

 

そして、最後の目的地は浜田城

事前に調べていると、浜田藩って色んな騒動が

起きているんですね。

そちらは他に譲りますが、小ぶりな城でしたが

連続枡形はなかなかなモノでした。

ただ、本丸の部分の石垣が殆どない状態というのは

解せませんでした。

剥がされたという可能性が高いと思いますが

二ノ丸以下の石垣はかなり残っていたので…。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で、今回のチラ見レポ終了です。

本編は何時書けるか判りませんが、できればこの感動を

書いて残しておきたいものです。