18.05.04 比叡尾山城[備後国人三吉氏歴代の居城]その3 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

比叡尾山城 レポ第3弾です。

その2左矢印はこちらからリンクしています。

 

 

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見所となる遺構 (土塁など)はブルー、名前のある場所 (本丸など)はパープル

現存建築物 (移築建築物含む)はピンク、再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ

跡地 (櫓跡など)はグリーン、その他 (銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 案内図

 

 

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その2で紹介した、高い土塁 がある曲輪 から折り返して、主郭の方へ向かっていきます。

 

 木々に隠れていますが、その高さは一目瞭然です。

 

 

 

その2で書いたか判りませんが…毛利系土塁(って何?)特有のスロープがついています。

 

 

 

 かなり踏み固められていますね。

 

 

 

さて、土塁ともここで、おさらば(死語?)です。

 

 堪能させて頂きました。

 

 

 

この土塁で比高を造ってできた堀切 も通過し…。

 

 

 

 この絵は土塁でデキた堀切と少しは判るかな…と思います。

 

 

 

堀切とも、おさらばして、曲輪群を隔てる切岸 を見ながら…。

 

 

 

 陽が当たると荒れ放題になりますなガーン

 

 

 

三の丸を通過して二の丸 にやってきました。

 

 本丸の腰曲輪的な二の丸。

 

 

 植樹をしているそうですが、遺構を破壊しないのでしょうか?

 

 

 

遠望を楽しめる場所がありました。

やっぱし山の上に居ると、立地がよく判りますよね。

 

 どの方向かは忘れましたがアセアセ

 

 

 

二の丸の北東にも腰曲輪 がありますが、そこは本丸の虎口空間的な感じです。

 

 本丸下段とも言えるかもしれません。

 

 

 L字状に広がっています。

 

 

 

その腰曲輪と本丸との境目は土壇 になっていますが、ここには石垣 の痕跡が見られます。

 

 

 

 主郭のみですが、これだけ石垣の痕跡が残っているというのは…。

 

 

 

比熊山城のレポの際にも書きましたが、三吉氏が比熊山城に移ったのは1591年とされています。

居城を移した時期を機に廃城になったそうです。

その時期までに石垣を築く技術を持っていた可能性も否定できませんが、もしかすると比熊山城に

移った後も、機能を残していたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 崩れている箇所が殆どですけどね。

 

 

 

それにしても最近、このような形で石垣が残っている城を数多く見に行くようになりましたが

完全に『土』のみの城というのはなかなか存在しないのではと思うようになってきました。

 

 

 

 城を訪れる事が多くなればなるほど、そういう感想も出てきますよね。

 

 

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その3はここまで。

その4に続きますm(_ _)m