相羽です。
こちらのブログではお久しぶりになります。
既に思い出のブログになりつつあるというか、Twitterが出てきた頃にメディアとしてどういう性質のものかという話をしていた頃が懐かしいです。今では、その手の話題はもうすっかりFacebookかリンクトインかといった感じです。
Facebookは僕も使っていて、特に海外の情報を得るのにはまだまだ有意義だと感じています。例えばですが、今年後半くらいにかけて学びがあるであろうマーケティングのケーススタデイを一つあげるとすれば、アメリカの大統領選でFacebookをはじめ、SNSがどう戦略的に使われるかでしょう。この辺りは思いっきりハショってフィルターをかけてある日本国内の大手メディアの情報だけ追ってる人と、例えばオバマ大統領のTwitterを直接フォローして分析してる人とでは、残念ながら世界情勢、ひいてはいくつかの文明(複数形なのはトインビーなどを参照)が向かおうとしている流れを咀嚼してるかという点について、二極化してしまってる状況になっていると思います。
また、もうちょっとミクロな使い方としては、Facebookはユーザーのリア充自慢(笑)に使われていて食べたランチの写真だとか可愛い子どもの写真だとかを日々色んな人たちがアップしておりまして、友人らのそれらはそれらで僕も微笑ましく見ているのですが、一方で少し考えれば可視化できるリスクを考慮してないような人も目について、若干不安になります。
具体的には、自身が移動できる力を削ぐことは、現在とても大きいリスクになっています。そういう意味で、(何も考えないで)ローンで持ち家、収入源を一つに大きく依存、環境に変化がない想定での子育てプラン、とかは現在とてもリスキーです。
代表的には、介護リスクと災害リスクと経済危機リスクを考慮してない人が多すぎるように思います。
・親や祖父母にはまず介護は必要になり、でも国は社会保障は減らす方針である(あなたが何らかの形でみなきゃならない方向に流れは進んでいる)。
・東日本大震災以降意識されているように、また大きい災害は十分起こり得る。
・経済危機のトリガーも(いくつかのシナリオで)かなり現実的なレベルなので、例えばいきなりの失職などは十分あり得る。
代表的なものでも、この三つは、十分現実的なリスクです。ちなみに僕は三つ目以外は既にほぼ一度経験した状態です。
これらを想定した場合に、移動力がない状態というのは非常にリスキーです。
・介護が必要になった時に、親や祖父母を助けに移動できるか。その(介護)リソースを確保するために移動できるか。
・災害が起こったときに、一時避難などの形で移動できるか。
・今の職をいきなり失ったとして、次の収入源に移動できるか。
こういう力があるかどうかです。
そして、その上で、
「移動できる力はある上で、あえて自分の意志で移動しない」
というのはまた大変尊いと思っています。
いざとなったら介護をやめて暮らしていく力がありつつ自分の意志で介護しているのは例えば家族愛ですし、
災害などで国土や郷土が大きいダメージを受けた時に、そこから避難できる力は持ちつつ、あえてその場で頑張ってみるというのは例えば愛国心であったり郷土愛であったりですし、
いざとなったら別の職や収入源に移動できる力を持ちつつ、あえて今の会社、今の仕事を選ぶというのなら、例えば愛社精神や職業愛です。
でも一方で、そこから移動する力がないのに、苦痛の中そこにいざるを得ないというのなら、それは現時点では支配され、あるいは搾取されている状態かもしれないということです。
その意味で、ちょうど震災以降の方向性を模索しはじめて一年くらいになりますが、現時点での僕の解答は、ストック(固定的な力)とフロー(移動する力)を両立していく方向で力をつけていくのが一番よい(従来よりかなり広い意味で言葉を使ってます)、ということになります。
これは僕もまだまだですが、多くの人たちがどちらかが足りていません。
SNSなどの自分のメディアもあるし、コミュニケーション力(英語力など含む)も人脈もあるけど(フロー的な力)、肝心の移動するためにお金に換えていけるだけの、市場水準で通用する自分のこれだという能力(ストック的な力)がない、という人がいます。そういう人は、今からでも時間をかけて何か揺るがない固定的な自分ならではという力を身に付け始める必要がありそうです。また私的な精神面でも、移動する力はあっても、本当に愛する家族や愛着がある土地がない、というのもまた寂しい感じがします。フローに行きすぎても虚無感が生まれてしまう事柄というのも確実にあります。
逆に、市場水準で十分にこれだという能力はあるのに、移動力が足りないために、例えば転職や、他の顧客とのお仕事などが中々考えられない、という人もいます。そういう人は、自分のメディア作りに投資するとか(SNS経由の採用が統計的にも(まだ海外中心ですが)増えています)、自分が活動できる市場の幅を広げるために英語に投資するとか、そういう時期が来ているのかもしれません。
と、久しぶりに最近思っていたことをつらつらと書いてみました。僕もまだまだ生存戦略をやってる状況ですが、何とか厳しいターンを生き抜いていきましょう(^_^.
こちらのブログではお久しぶりになります。
既に思い出のブログになりつつあるというか、Twitterが出てきた頃にメディアとしてどういう性質のものかという話をしていた頃が懐かしいです。今では、その手の話題はもうすっかりFacebookかリンクトインかといった感じです。
Facebookは僕も使っていて、特に海外の情報を得るのにはまだまだ有意義だと感じています。例えばですが、今年後半くらいにかけて学びがあるであろうマーケティングのケーススタデイを一つあげるとすれば、アメリカの大統領選でFacebookをはじめ、SNSがどう戦略的に使われるかでしょう。この辺りは思いっきりハショってフィルターをかけてある日本国内の大手メディアの情報だけ追ってる人と、例えばオバマ大統領のTwitterを直接フォローして分析してる人とでは、残念ながら世界情勢、ひいてはいくつかの文明(複数形なのはトインビーなどを参照)が向かおうとしている流れを咀嚼してるかという点について、二極化してしまってる状況になっていると思います。
また、もうちょっとミクロな使い方としては、Facebookはユーザーのリア充自慢(笑)に使われていて食べたランチの写真だとか可愛い子どもの写真だとかを日々色んな人たちがアップしておりまして、友人らのそれらはそれらで僕も微笑ましく見ているのですが、一方で少し考えれば可視化できるリスクを考慮してないような人も目について、若干不安になります。
具体的には、自身が移動できる力を削ぐことは、現在とても大きいリスクになっています。そういう意味で、(何も考えないで)ローンで持ち家、収入源を一つに大きく依存、環境に変化がない想定での子育てプラン、とかは現在とてもリスキーです。
代表的には、介護リスクと災害リスクと経済危機リスクを考慮してない人が多すぎるように思います。
・親や祖父母にはまず介護は必要になり、でも国は社会保障は減らす方針である(あなたが何らかの形でみなきゃならない方向に流れは進んでいる)。
・東日本大震災以降意識されているように、また大きい災害は十分起こり得る。
・経済危機のトリガーも(いくつかのシナリオで)かなり現実的なレベルなので、例えばいきなりの失職などは十分あり得る。
代表的なものでも、この三つは、十分現実的なリスクです。ちなみに僕は三つ目以外は既にほぼ一度経験した状態です。
これらを想定した場合に、移動力がない状態というのは非常にリスキーです。
・介護が必要になった時に、親や祖父母を助けに移動できるか。その(介護)リソースを確保するために移動できるか。
・災害が起こったときに、一時避難などの形で移動できるか。
・今の職をいきなり失ったとして、次の収入源に移動できるか。
こういう力があるかどうかです。
そして、その上で、
「移動できる力はある上で、あえて自分の意志で移動しない」
というのはまた大変尊いと思っています。
いざとなったら介護をやめて暮らしていく力がありつつ自分の意志で介護しているのは例えば家族愛ですし、
災害などで国土や郷土が大きいダメージを受けた時に、そこから避難できる力は持ちつつ、あえてその場で頑張ってみるというのは例えば愛国心であったり郷土愛であったりですし、
いざとなったら別の職や収入源に移動できる力を持ちつつ、あえて今の会社、今の仕事を選ぶというのなら、例えば愛社精神や職業愛です。
でも一方で、そこから移動する力がないのに、苦痛の中そこにいざるを得ないというのなら、それは現時点では支配され、あるいは搾取されている状態かもしれないということです。
その意味で、ちょうど震災以降の方向性を模索しはじめて一年くらいになりますが、現時点での僕の解答は、ストック(固定的な力)とフロー(移動する力)を両立していく方向で力をつけていくのが一番よい(従来よりかなり広い意味で言葉を使ってます)、ということになります。
これは僕もまだまだですが、多くの人たちがどちらかが足りていません。
SNSなどの自分のメディアもあるし、コミュニケーション力(英語力など含む)も人脈もあるけど(フロー的な力)、肝心の移動するためにお金に換えていけるだけの、市場水準で通用する自分のこれだという能力(ストック的な力)がない、という人がいます。そういう人は、今からでも時間をかけて何か揺るがない固定的な自分ならではという力を身に付け始める必要がありそうです。また私的な精神面でも、移動する力はあっても、本当に愛する家族や愛着がある土地がない、というのもまた寂しい感じがします。フローに行きすぎても虚無感が生まれてしまう事柄というのも確実にあります。
逆に、市場水準で十分にこれだという能力はあるのに、移動力が足りないために、例えば転職や、他の顧客とのお仕事などが中々考えられない、という人もいます。そういう人は、自分のメディア作りに投資するとか(SNS経由の採用が統計的にも(まだ海外中心ですが)増えています)、自分が活動できる市場の幅を広げるために英語に投資するとか、そういう時期が来ているのかもしれません。
と、久しぶりに最近思っていたことをつらつらと書いてみました。僕もまだまだ生存戦略をやってる状況ですが、何とか厳しいターンを生き抜いていきましょう(^_^.