昨日の続きです。標高約300mに築城された山城・七尾城跡を歩きました。自然石を利用した野面積みの石垣が、往時の面影を偲ばせました。

史跡「七尾城跡」の案内板の前で。
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復元されたイラストです。七尾城が単なる立て籠もりの砦でなく、日常生活の拠点として、多数の屋敷が集まって城郭を形成していたことがわかります。
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静かな山城跡を現地ガイドの説明を聞きながら、約1時間歩きました。
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「調度丸」と呼ばれる広場、ここから石垣が続く坂道を上って行きます。
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「調度丸」から「桜の馬場」まで石垣が続きました。
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通路の両脇には、数段の石垣が積まれていました。
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桜の馬場に向かう石段と石垣です。ゆっくりと往時を偲び上って行きます。イメージ 6

上りきったところが「桜馬場」です。
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桜の馬場にあった石垣です。
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本丸の西側に「遊佐屋敷跡」がありました。
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本丸に続く道の石垣です。
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「本丸」です。東西約40m、南北約50mもあります
七尾城址の史跡が立っていました。
大きな史跡の標識も、現地まで人力で運んで来たそうです。
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昨日もご紹介した、本丸から見た七尾湾の眺めです。
現地ガイドは、美しい夜景の写真も見せてくれました。
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巨石「九尺石」の石垣、高さが2.7mあることから名づけられたそうです。
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七尾城は織田信長の支配下になると、前田利家に与えられました。
利家は七尾城の大きな改修工事を実施するとともに、別に小丸山城を築城しました。完成すると七尾城は廃城にしたそうです。きっと奥さんのお松さんがこんな不便な所はいやだと言ったんじゃないかと、現地ガイドの話です。
見学後は日本海側に出て、千里浜なぎさドライブウェイで昼食をとりました。