大牟田市制100周年を記念して開かれた、三池炭鉱近代化の歴史について基調講演の後、三池炭鉱の意義についてパネリストによるシンポジウムです。

シンポジウム会場(大牟田文化会館小ホ-ル)光景
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3人のパネリストのうち、私が関心を寄せたのは大牟田市石炭産業館名誉館長による三池炭鉱技術史のお話です。
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その要旨集です。
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そのパネリストは三池炭鉱坑道建設の歴史について、詳しく紹介されました。
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その三池炭鉱坑道概略図を拡大してみました。
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以下の5枚も、会場に映し出されたパワ-ポイントです。
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三池炭鉱がいかに化石水が多かったか、よその炭鉱と比較されました。
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人力から採炭の機械化の歴史です。
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MHP(三池ハイパワ-プラント)という計画も、初めて知りました。
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閉山に至るまで、約120年間の坑道別の生産量、従事者数の推移です。
三池炭鉱の累計生産量では、全国生産量の1割を占めたそうです。
炭鉱従事数は緑の折れ線ですが、私が生まれた頃がピ-クで約25000人と読み取れます。
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この他「激動の昭和」と三池炭鉱というテ-マで大牟田で生まれ育った80歳の講師が、大牟田空襲の体験を熱っぽく語られました。
シンポジウム会場入り口には「写真で見る三池炭鉱の移り変わり」というパネル展示もありました。