本体のアウシュヴィッツ収容所が狭くなり、約3km離れた場所に増設されたビルケナウ収容所にバスで移動しました。
この場所に1944年には、9万人もの人々が収容されていたそうです。

ビルケナウ収容所の現在の上空写真(購入したガイドブックから)
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ナチス親衛隊の中央監視塔があった、ビルケナウ収容所に入る門のパノラマ
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たくさんの犠牲者が収容された、バラックの建物が見えてきました。
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強制収容所送りの人々を乗せてきた輸送列車が入ってきた、中央門です。
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この鉄道引き込み線のホ-ムで、労働可能かどうかユダヤ人の選別が行われたそうです。選ばれなかった人々は、そのままガス室送りです。
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選別された、一時収容所の木造バラックの内部です。
何百人ものユダヤ人の労働者が、寝泊まりした所です。
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トイレも仕切りも何もなく、一列に並んで用をたしました。
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強制収容所の仕切りに使われた、有刺鉄線の鉄条網が当時のままに。
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後方に見える煙突は、バラックの暖房設備の跡だそうです。

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この博物館は、1979年にユネスコ世界遺産に登録されています。
ガイドブックによると現在までに、100か国以上から3000万人以上の人々が訪れたそうです。ヨ-ロッパの人々にとって、この収容所跡を訪れることが道徳的義務と考えられているようでした。
長崎・広島と同じように歴史の現場に立って、自分の眼で歴史の事実を五感で直視して、しっかりと記憶することが大事だと思いました。