昨年末荒尾総合文化センタ-において、上海で開催されたパネルをもとに「孫文と宮崎兄弟資料展」の巡回展が開催されました。
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孫文との交流を紹介したパネル。右は宮崎兄弟生家にある筆談している場面
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上の左下写真をズ-ムアップ。1897年9月、東京で孫文と宮崎滔天(後列の真ん中)が出会った時の写真です。
孫文と滔天は英語で話し、特に複雑な所は漢字で筆談したそうです。
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左は宮崎滔天の家族です。中央は孫文が滔天に送った手紙、右は白蓮の夫、宮崎龍介です。
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展示会場には、滔天と孫文の交流のたくさんのパネルが紹介されていました。
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同上
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宮崎滔天の自伝「三十三年乃夢」のコ-ナ-。孫文を紹介、宣伝して「中国同盟会」の結成につながりました。
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1911.12.21欧州から帰国する孫文が香港に寄った際、デバナ号上で撮影した滔天らとの集合写真。右下は孫文が臨時大総統に就任した時の画です
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辛亥革命が成功した以降、日中友好の交流を紹介したパネルが続きます。
志を継承した子孫、宮崎龍介らの活動を追っていました。
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1917年毛沢東が宮崎滔天に贈った書簡です。黄興の葬儀(長沙)に参列、滔天と黄興の友情を称えて、滔天の来校記念に講演依頼の手紙です。
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滔天の死後、1923年1月孫文は上海で滔天の追悼会を企画しました。
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1956年中国の建国記念式典に参加した天安門屋上での毛沢東と龍介、白蓮夫妻。下は龍介、白蓮夫妻と周恩来、けい承志の写真です。
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宮崎滔天の子孫と中国との友好活動の記念する資料です。
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主催者へのお願いですが、この「孫文と宮崎滔天資料展」の図録を発行して頂けませんか。また「宮崎兄弟資料館だより」という館報が発行されているので、今回のパネル資料を紙上でシリ-ズで紹介して下さい。