西村健さんの「地の底のヤマ」講談社文庫本、約1500ペ-ジを一気呵成に読みました。炭住地域の生活風景を彷彿とさせる、筆の運びです。
単行本の帯に「呑んだ、愛した、闘った!九州・大牟田・三池炭鉱。故郷を深く愛する一人の警官の人生を軸に、昭和35年から現在に至る熱き男たちの生き様を描ききる。これを読まずに日本の戦後は語れない」という、長いフレ-ズに惹かれました。この本の映画化が待たれます。

①講談社文庫本のカバ-イメージ 1

・有明海沿岸道路における回想シ-ンです。
かつてあの海底の遥かな地中にも、この足下にもヤマがあった。掘り進められた坑道が幾重にも交錯し、地底の彼方まで延びていた。多くの人間がそこで働き、生活の糧を得た。掘り出された石炭が、我が国の産業を支えた。
 あの海の底で、この足下で、多くの人間が運命を翻弄された。ある者は傷つき、ある者は命を落とした。そのヤマも既に閉山し、坑口は塞がれ、坑道は水で満たされた。炭鉱は永遠に封印された。海は今も何事もなかったかのように、静かに波打っている。それでもヤマはまだ生きている。覚えている者がいる限り。それぞれの胸に息づいている。

・古き良き大牟田の街並みや、生活風景を思い起こさせてくれます。
駅前の「東洋軒」に入った。「大牟田ラ-メン発祥の地」を名乗る店だ。昭和24年、岡山からやって来たラ-メン職人が数人で、駅前で屋台を引いたのが大牟田におけるラ-メンの始まりという。彼らは数年で引き上げてしまうが、その流れを受け継いだのがここ「東洋軒」、線路の向こうの「来々軒」、そして警察署近くの「まるせん」だった。屋台が引かれたのも同じく駅前ということもあり、この店が「発祥の地」を名乗る資格は充分にあることになる。なお税務署前でいつも行列の絶えない「福龍軒」は、この「東洋軒」からの独立なのだそうな。

②三池炭鉱の坑口と社宅分布図
イメージ 2
・四山(よつやま)社宅跡での回想シ-ンです。
木造二階建て長屋が見渡す限り建ち並び、最盛期には五千人近くが住んでいた大規模炭鉱社宅、四山社宅も今は影も形もない。かってここには小学校の分校から保育園、病院に講堂、マ-ケットに床屋、銭湯からグラウンドまで生活に必要なあらゆる施設が整っていた。完全に独立した一つの町だった。敷地は県境を超えて荒尾市まで広がり、あちらは大島社宅と称していた。

・熊谷博子さん(映像ジャ-ナリスト)の文庫本解説の末尾です。
本当に三池炭鉱は閉山しても炭鉱(ヤマ)は生きている。”地の底のヤマ”は人々の心の中に生き続けている。
この方が監督したドキュメンタリ-映画「三池 終わらない炭鉱(ヤマ)の物語」の上映の機会があったら、見たくなりました。
三池炭鉱に生きた人々の、生の声を拾い集めているそうです。

引用が長くなりました。お読みいただいてありがとうございました。