倉賀野 群馬の中山道沿い高崎郊外




から水運で運んだと言う




横浜港




原三渓の群馬の生糸 上田藩の生糸




が最初に横浜から輸出ということらしい




最初のセリの記録が有るが どこのものかの記載が無いらしいが




時期的にそれしか物がないらしい




まあ やんごとなく過ごして居る




お山の人々 




と言うか 何処のものかが流通過程でわからんと言うのが




現実だろうねw




生糸が金なんだから




まあ ともかく 開港して パンやらアイスクリーム




横浜港の水は腐りにくい 云々




好評だったと言うこと 繁栄万歳!




例の叔父




中野の住人













記録の請求者




ごく身近に ああ言う騒動の有った地域で




過ごしていた まあ 特定は避けたいので




これくらいしか出さないが




開港資料館にごっそりと 生糸関連の資料を寄贈して




比較的有名人で 受けも良かったのよね




まあ いわゆる 蔵泥棒に近いと言う 上の叔父の悪口も有る




まあ 紙の資料などは




時間でクズになり 整理しないと燃やして終わり




と言うもので有る。




中野の江部 と言うと そう言う土地でも有るのよね




まあもう亡くなって随分経つから 生きていれば




観たように話す お酒好き そんな事を思い出す




開港記念日