小学校1年から始めさせられた水泳。県立屋内プールで泳いでいた。プールの横には市民球場。ホームゲームの日は、1塁側の入口の横を歩き、紙屋町のバス停まで歩く。球場の外にいても歓声は聞こえる。聞こえるどころの騒ぎではない。大騒ぎが耳を衝く。たまに、入口のバイトとおぼしき学生さんに、「カープ、勝っとる?」と訊くと、「ちょっと観てから帰りんさいや」と一瞬入れてくれる優しい兄ちゃんもいたりした。
球場には父親が連れていってくれた。大概は外野自由席。たまに、附属の教え子さんの保護者さんが「先生どうぞ」と年間席を提供してくれたりして、ベンチ前の席に座ったりした。ただ、1塁側はなかなかなく、多くは3塁側のベンチ上が多かった。しかも、読売戦ではない。あまり、当時は人気のなかった中日戦、大洋戦が多かった。たまたま、だが、中日戦は中日の三沢投手が投げる日が多く、鯉打線は打ちづらそうにしていた。すると、退屈なのか、父は私を連れて、3塁側の一番上の通路まで連れていく。そこからは原爆ドームが目の前に見えた。昭和50年代のこと。
令和元年、日本シリーズに参戦する。小学校時代の友人の御厚意により、1塁側の特等席に座って観戦したのだが、これは本当に痺れる場所だった。その代わり、あまり、頻繁に席を立つこともできず、タバコを吸いに席を離れる程度だった。
令和7年。久々のズムスタ参戦。今回は内野2階指定席。ホームベースから真っ直ぐ上の最上階。周りは虎党ばかり。だが、緩やかな鯉の攻撃と、そつのない虎の攻撃というコントラストに酔いしれて…いや、広島レモンチューハイに酔いしれて、フラフラと何度も席を立つ。すると、通路にあの頃と同じ名前の店がある。
おぉっ、あったんか!
思わず叫んで、天ぷらうどんの食券を購入する。熱い。んっ?昔は250円くらいじゃったかいの?天ぷら入りで。でも、ええわ。カープうどんという名前が旨いんじゃ。そう、独り言を呟きながら敢えて球場の外を眺めながら独りで、喰う。そういえば、あの頃は原爆ドームを見ながら食いよったのぅ…と誰に言うでもなくブツブツ言いながら喰らうオッサンは、見苦しいことこの上なかろうが、ええんじゃ。ワシは通路で喰わんとカープうどんじゃないけぇ。
そう、あの頃はひたすら、暑い中で熱いうどんを喰うのが日常の中でも唯一の非日常だったが、今思えば、広島の日常に組み込まれた幸せな記憶なのだった。
試合はたんたんと進み、7点取られ、14安打も打たれたのに、3時間で終わった。
負けた辛さよりも、久々に野球を観られたことへの幸せを噛み締めた夜。