今日は母の話。
僕の母、容子は香川の人で、大学に進学するため京都に出てきて父親の会社でアルバイトをしているときに父と結婚した。父は再婚で、僕には腹違いの兄がいる。父の一人目の結婚相手は祇園の舞妓で別嬪だったらしく兄は僕より遥かにカッコいい。僕の母はお世辞にも奇麗とはいえないので、僕はこんないかつい顔に生まれた。
母にとって一人目の子だった僕は、それこそめちゃくちゃ甘く育てられた。
とてつもなく怖い父と、とてつもなく優しい母に育てられると、僕のようにねじまがって育つのだ。
家では毎日のように母は父から怒鳴られていた。僕も何度父からどつかれ殺そうと考えたかわからない。小学生から中学生にかけて僕がこれ以上ないくらい苛められたのは、その育てられ方に多いに問題があったのだろう。僕はわがままで人の気持ちを知ろうともしない子供だった。(今でもそういう部分があるらしい。こんな家庭に育ったのだから少し多めにみてほしい。ダメか。)
これではいかんと思った僕は家族を捨てる。いや、経済的に自立するのはまだムリだから、心の中で家族を捨て去った。家では、ほとんどしゃべらず過ごした。母からのプレゼントも受け取らなかった。何日も家に帰らず、心配した母が僕の友達に電話で相談したこともあった。その友達から「お前、あんないいおかんに心配かけんな」と嗜められた時も、おかんに「余計なことすんな」と怒った。「この人に甘えてたらオレはダメになる」と思っていた。社会人になって収入も出来た僕はそそくさと家を出た。盆も正月も帰らなかった。弱音のひとつも吐きたいこともあったが家族には求めなかった。かつてのいじめられっこは、その反動で人に心を見せない、人と打算でつきあう、何の魅力もない男になっていた。「負けたらアカン」どんな時も強気を押し通した。まあいってみれば、のびたがいきなりジャイアンになったみたいなもんだ。過去を知るほぼ全ての人から「舜は変わった」と言われた。
そんなある日、母がガンに倒れる。生きるか死ぬかは5分5分だった。そのときはじめて母がこの世からいなくなるかもしれない恐怖に直面し、僕はそれまでの自分を死ぬ程後悔した。これまでいなかったも同然の母が死のうが生きようが、なんとも思わないはずだったが、僕はなぜかそのとき身代わりになって死んでもいいと思った。色んな神社にお参りにも行った。見舞いに行ったが、これまでのことがあるから素直に話せなかったが「死ぬな」とだけ言っておいた。
母は驚異的な生命力を見せ、ガンを克服し、退院後すぐにまた働き出した。僕も苦労を経験し、少しづつではあるが人の心がわかるようになってきた。(え?まだまだですか?こんな境遇なので多めに見て下さい。ダメか。)
大きな声ではいえないが、今では母を尊敬しているし、母のように自分のことより人の為に生きたいと思っている。もし生まれ変わったとしても、母の息子として生まれたいと思っている。

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