こんにちは。

シンガポールも近づいてきましたね。

最近思ったことが

事業責任者は、事業を創る人間、事業家であるべきと。
だから俺は、事業を創れる人を創れる会社を創ることを目指すべきと。

それが今、一番良い自分の行動の選択肢なのかと(今は)思っています。


前置きはこんな所にして

今日のテーマは『人生の賞味期限』という考え方について。

ある人が書いていたことが面白い思考だったので

抜粋して、そのあとに軽く自分の考え方を



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私は『挑戦はいつでも出来る』というのは事実でないと思ってます。

人の持つ「エネルギー量」は一生を通して同じではないからです。

個体差は確かにありますが、エネルギー量は必ず時間と共に減っていくし、

お金のように貯蓄できる性質のものでもないです。

「生きる」ということはこのエネルギーを消耗していくプロセスと言えます。

人を巻き込んだり、ひとつの事に集中するには体力や気力も合わせたエネルギーが必要です。

『( 知識 + 経験 )✕ エネルギー量 = 成果 』と言っても過言ではありません。

知識や経験があっても、エネルギーが枯渇してしまっていては

もう何かに挑戦しようとは思えなくなってしまいます。

この「何かに挑戦できるエネルギーがまだ残ってる期間」を

「人生の賞味期限」と私は呼んでいます。


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なるほどなあ。
やけに腑に落ちる文章や。

”「生きる」ということはこのエネルギーを消耗していくプロセスと言えます”





努力し続ける人は必ず花が咲く

とか

グリット(特殊能力)を持つ人間が成功する

とか

この世に継続的なエネルギーの放出成功との関係性

めっちゃ抽象的に取り上げられるけど

この文章がその解説をしてくれた感じ。


レミックに上の文章の方程式を当てはめると


エネルギー量の放出と、知識・経験矛盾が起きているから

成果が出づらいのは当たり前なんだよな。

で、あれば何が今、必要なのかが分かるはず

エネルギーの放出さえも出来ていなければ、見込み無しやね。


やり続けれるやつは必ず花が咲く

これのロジックは存在したのかも


俺は今以上に、エネルギー量を出す。
そして知識を自分にぶち込む、そしてながら経験をし続ける


人生の賞味期限まで、そんなに時間は無いと思うから。

人生終わるときに良かったと思えるのか、それとも後悔するのか。

それは、持てるエネルギーを出しきったのか余したのか。

そこなのかもしれないなあ。


今日は以上!