さて、今回は生徒に順位をつけることについて書こうと思う。

 私の通っていた小学校は他の学校と同じように、主に学期の終わり頃に、国語、数学、理科、社会のテストをしたり、漢字の50問テストを行っていた。そこでは点数はつくものの、誰が一番だったか、100点をとったかは特に発表されることもなく、そもそも順位をつけるという風習はなかった。私は成績が良く、100点を取ることに自己満足していたため、その当時はそのことに疑問を感じることはなかった。

 私は中学生になった。中学校では順位はつくものの、それが公に発表されることはなかった。誰が学年で一番成績が良かったかなども、噂程度にしかわからなかった。そこでも私は成績が良かった。しかし、中学校では勉強ができる生徒よりも運動ができる学生の方がすごいという扱いだった。特に、サッカー部とバスケットボール部の生徒が運動ができてすごいというように見られていた。さらに、特に勉強でも運動でも結果を残しているわけでもない学生が成績の悪いことを大きな声で発表しているのを見て、私は、なぜ勉強ができても表立って評価されないのだろうと疑問だった。

 中学校では部活動の大会で結果を残した学生を集会で表彰していた。地区大会や県大会で、結果を残すと表彰台に上がり、拍手をもらうという構成だった。私は中学校でも勉強ができて、結局県内で一番進学実績の良い高校に進学したが、それをみんなの前で表彰されることはなかった。地区大会で入賞することと同じかそれ以上に難しいはずなのに、である。

 京都大学に入学すると勉強ができることは周知のこととなったため、このような思いをすることはあまりなくなった。しかし、私は周りの目が何よりも気になる中学・高校時代に勉強ができることで認められたかった。運動ができる学生と同じように表彰されて(特に女子から)もっとすごいと言われたかった。

 なぜ、課外活動で成績が良かった学生は全校生徒の前で表彰するのに、成績の良い学生はみんなの前で表彰しないのだろう。なにも、全員の順位を張り出せと言っているわけではない。上位の成績のものを発表するだけでいいのに。成績を発表することに対してクレームをいうものがいるのだろうか?だとしたら成績を発表しないことに対して私はクレームを言ってやりたい。

 私は現在、勉強を頑張ったおかげで割といい企業で働くことができており、そのことや学歴によって異性からすこし尊敬の目で見てもらえることもある。しかし、私は、自分が一番頑張ってきた、勉強ができることを表立って評価しようとしなかった学校という施設をどうにも好きにはなれない。

P.S. 余談だが、大学では最後の最後である卒業式で主席が表彰されるため、今までよりは少しはマシになったかもしれないが、表彰されるのは各学部でたった1人だけだ。(医学部や薬学部はカリキュラムの都合上2人いたりする)結局成績が良かったことはあったとしても一瞬しか表立って評価されないのかもしれない。

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