「世界の中心で、愛をさけぶ」
という小説があります。
僕はこの小説が大好きで大好きで、小説はもちろん、映画もドラマも全部見てます。
何よりも高校生二人の純愛が綺麗に描かれている。それから恋人の死、喪失感などが描かれた小説である。
「純愛ストーリー」ということばかりが話題にあがって、その裏のことはあまり、皆さん感じていないかもしれませんが結局、小説なので物語の裏に作者の「感じてほしいこと」だとか「考えてほしいこと」だとか読者自身が「これってこういうことをいってるんじゃないの?」ってのがあるんですね。
僕はそれも含めて、良くできているなぁと感じるわけで。
「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説のテーマは「純愛」「喪失感」「死生観」だと考えています。
小説で話を進めることにします。
主人公「サク」を自分だとして考えて読んでいくとおもしろいと思うのですが、小説の中でサクは亜紀を愛すること、人のいろいろな死生観に触れること、恋人を失うこと、その後の葛藤。
小説の中でサクは「生きるとはなにか?」「死ぬとはどういうことなのか?」ということを苦悶の末に結論を出します。
小説の中で3つの死生観がサク(読者)に語りかけてきます。
1つは「散骨」という考え。
遺骨は「その人」であるという考えであり、これはわかりやすいのかもしれない。
2つ目はサクの祖父の「偕老同穴」という考え。
「百歳の後、その居に帰せむ」「わたしもいずれあなたのもとに」
一部、散骨の概念も含まれてはいますが、死んだ後に愛した人と結ばれたいという気持ちを表しています。
3つ目は「アボリジニの文化・思想」
この世のもの、生きているものにはすべて「理由」が存在する。
埋葬は二回、一回目は肉体のため、二回目は骨のため。
サク自身の「死生観」はずっと変わらないままです。
あの世なんて存在しない。死後の世界なんてない。
亜紀を亡くしてからもそれは変わることはありません。サクにとっては「亜紀はどこかへ消え失せてしまったんだ」としか考えられません。
それは愛する人を失ってしまった、どうしようもない喪失感がもたらす絶望が、現実を受け入れることを拒否させてしまっているからです。
しかし、徐々に過ぎていく時間がサクの死生観を変えていきます。
上にあげた3つのどれかではなく、3つが混在した独自の死生観にたどり着くというか。
少しずつ似ているような、少しずつ違っているような。
その独自の死生観は亜紀を失ったサクが、その後の人生で出した結論なんだと思います。
“人はなぜ生きるのでしょうか?
死ぬということは、どういうことなのでしょうか?”
主人公の出した結論に触れるだけでも「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説を読む価値があるんだと僕は思います。
それは小説、映画、ドラマ
全てが若干、違っています。
純愛の表現もやはり違っています。
結局「世界の中心」ってどこなの?っていう部分はやはり「純愛」という部分が答えを出しているのかなと。それは皆さん、よくわかっていますよね。
確かに過去のブームでは有りますが、小説には古いも新しいもないので、一度読んでみて下さい。
しっかり読んでみてください。
一気に読んでみて下さい。
今、ドラマの再放送がやっているので、僕の「セカチュー」に対する思いを書いてみました。
ちなみに映画は4回見ています。笑
とみえ
という小説があります。
僕はこの小説が大好きで大好きで、小説はもちろん、映画もドラマも全部見てます。
何よりも高校生二人の純愛が綺麗に描かれている。それから恋人の死、喪失感などが描かれた小説である。
「純愛ストーリー」ということばかりが話題にあがって、その裏のことはあまり、皆さん感じていないかもしれませんが結局、小説なので物語の裏に作者の「感じてほしいこと」だとか「考えてほしいこと」だとか読者自身が「これってこういうことをいってるんじゃないの?」ってのがあるんですね。
僕はそれも含めて、良くできているなぁと感じるわけで。
「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説のテーマは「純愛」「喪失感」「死生観」だと考えています。
小説で話を進めることにします。
主人公「サク」を自分だとして考えて読んでいくとおもしろいと思うのですが、小説の中でサクは亜紀を愛すること、人のいろいろな死生観に触れること、恋人を失うこと、その後の葛藤。
小説の中でサクは「生きるとはなにか?」「死ぬとはどういうことなのか?」ということを苦悶の末に結論を出します。
小説の中で3つの死生観がサク(読者)に語りかけてきます。
1つは「散骨」という考え。
遺骨は「その人」であるという考えであり、これはわかりやすいのかもしれない。
2つ目はサクの祖父の「偕老同穴」という考え。
「百歳の後、その居に帰せむ」「わたしもいずれあなたのもとに」
一部、散骨の概念も含まれてはいますが、死んだ後に愛した人と結ばれたいという気持ちを表しています。
3つ目は「アボリジニの文化・思想」
この世のもの、生きているものにはすべて「理由」が存在する。
埋葬は二回、一回目は肉体のため、二回目は骨のため。
サク自身の「死生観」はずっと変わらないままです。
あの世なんて存在しない。死後の世界なんてない。
亜紀を亡くしてからもそれは変わることはありません。サクにとっては「亜紀はどこかへ消え失せてしまったんだ」としか考えられません。
それは愛する人を失ってしまった、どうしようもない喪失感がもたらす絶望が、現実を受け入れることを拒否させてしまっているからです。
しかし、徐々に過ぎていく時間がサクの死生観を変えていきます。
上にあげた3つのどれかではなく、3つが混在した独自の死生観にたどり着くというか。
少しずつ似ているような、少しずつ違っているような。
その独自の死生観は亜紀を失ったサクが、その後の人生で出した結論なんだと思います。
“人はなぜ生きるのでしょうか?
死ぬということは、どういうことなのでしょうか?”
主人公の出した結論に触れるだけでも「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説を読む価値があるんだと僕は思います。
それは小説、映画、ドラマ
全てが若干、違っています。
純愛の表現もやはり違っています。
結局「世界の中心」ってどこなの?っていう部分はやはり「純愛」という部分が答えを出しているのかなと。それは皆さん、よくわかっていますよね。
確かに過去のブームでは有りますが、小説には古いも新しいもないので、一度読んでみて下さい。
しっかり読んでみてください。
一気に読んでみて下さい。
今、ドラマの再放送がやっているので、僕の「セカチュー」に対する思いを書いてみました。
ちなみに映画は4回見ています。笑
とみえ