こんにちは!! 1月頭に連日書かせていただいたとおり、今年度の区切りでお店を退職します、安斉です。
先日のブログから、ブログ読みました!と言っていただく事が多く、思っていたより多くの方にブログを読んでいただいていたんだなと、驚かされておりまして。
以前から読んでいただいている方は察しが付くかと思いますが、
今回、超長文です。
南武線通勤の方、宿河原から川崎着きます( ゚д゚ )笑
今回の記事はタイトル通り、なぜ「世界一周カットの旅」という夢に行きついたか。です。
動画は懐かしき6年前の会社の入社式。100人を超える会社のスタッフの前で公言した安斉の決意です。
そして思い返すとこの夢自体は8年越しのものになります。
時は遡り8年前。 美容学校の1年生から2年生に上がる春休み。10日ほどの短い休みではあったんですが、
その期間を使って初めて海外でのボランティア団体に参加したんです。NPO団体の「CFF」という団体で、フィリピン・マレーシアを中心に活動されています。
以前から東日本の被災地に赴いたりはしていて、その活動を見ていた知人からの紹介で参加しました。
行き先はフィリピン。 20人近くの高1から大4までの日本人学生が集い、フィリピンにある孤児院で生活している子どもたちと共に過ごすものでした。
その現地での子どもたちとの生活、またそこに向かう途中訪れたスモーキーマウンテンと呼ばれるゴミ山で生活する人々、政府の認可がない水上に家を建ててその日暮らしをしている人たち、色んな人に触れ、景色を見て、教科書でしか見たことのなかった聞いたことのなかった「貧国」というものを身をもって感じました。
そして、人生を変える大事件。
お恥ずかしいことに子どもの家について初日か二日目に転んで足に怪我をしてしまったんですね。
足首の上を少しえぐれるような傷を作ってしまいました。が、しかし当時は水で流してマキロンを塗るくらいの処置しかしていませんでした。
旅のテンションというのもあり、大丈夫大丈夫!と周りにも行って活動を継続していたのです。
その後生活している中で傷口にハエが止まっていたりしても気にすることもしませんでした。
旅の最終日前日、子どもたちともお別れをし首都のマニラへワゴンで向かっている途中、段々と自分の体調が悪くなっているのに気が付きました。
とはいえ、子どもたちの家での生活を終えたばかり周りの皆も相当疲れた様子。 だから自分もきっとそうだろうと、ワゴンの中でひたすら眠りました。
その日は首都のマニラで1泊。皆でYMCAのホテルに荷物を置き近くのスーパーへ買い出しをしている時、あまりにも体調が悪くホテルに戻ると、なんと体温40.5度。笑 当時はもはや笑えない。
大フィーバーしてました。
現地スタッフの看病のもと、翌日には38度くらいまで落ち着いていたので、一旦日本に帰り日本の病院で診てもらおうという判断になりました。
空港ではメンバーと泣く泣くのお別れをしつつ急いで空港内の検疫へ。
そこで見てもらうとビックリ。
右足付け根まで真紫。( ゚д゚ )
右足終わったと思いました。ほんとに。
検疫では対応しかねるということで急ぎ、地元の聖マリアンナ大学病院まで急行。
夜中の12時から6時間かけて手術をしていただきました。原因不明の熱と右足の紫に、、最悪の事態もあるんじゃないかと。
その時は、せっかく家族にも応援してもらい現地に赴いて多くの発見と出会いと最高の経験をして帰ってきたのに、これを活かす間もなく、、とまで考えてしまいました。
そんな中麻酔もきいてか、集中治療室で眠りに落ちます。
・・・結果から言うと、完治しました。おかげさまで今日も最高の右足と共に仕事をしています(・´з`・)
愛してるぜ右足😘
先生いわくあと1日遅かったらリンパの流れで全身に菌が回っていたと。
本当なのか脅しなのか、、分かりませんが改めて海外でのけがを重く受け止める機会になりました。
今も少し残る傷痕が良い思い出です。
そこから最初は原因がわからなかったのもあり2週間の入院。
ベッドの上でやることがない自分はただただ、初めてのフィリピンでの思い出を振り返っていました
ちょっと転んだだけでもこんな大きなことになる環境で毎日生活している子ども達。
そこに対して自分が出来る何かはとても小さいかもしれない、けど何か出来たら自分はそこに働きがいを見出せる気がしておりました。
当時は美容学生2年目に入るところで、自分の中で生涯の仕事・軸は「美容」と決めておりました。
そして兼ねてより自分の好きであった「海外」、そして「子ども達」。これらをくっつけて、仕事にしたい。
そこに働きかけが出来る人になりたい。と、当時20歳の自分は沸々と燃え上がっていたのです。
キリも良く20歳だったので「20代の内に叶える大きな目標」の一つとして掲げました。
現在のお店で勤め始めてからも毎年の夏休みは目標の実現に向けて短い期間ですがフィリピンの孤児院やベトナムにて活動をしてきました。
現在も世間で活躍されている多くの偉人たちは「目標を口にし続ける」とおっしゃる方がとても多いです。
自分もその言葉通り、思い立ったその時から家族に話し、友達に話し、職場に話し、お客様に話し。
現時点でもまだ叶えていないことなので、話していたら夢が叶った!とはまだ言えないですが、、、
ついにその夢のほぼ目の前までやってきました。
期待も不安もごっちゃ混ぜの現状ですが、右に行くのも左に行くのも全て自分の決断。
覚悟といえば格好いいですが、笑
選んだらもう悔いのないようひたすら前に進むだけ。 僕はこっちの道を選びます。
就職時に作ったスローガン「Piece of peace(幸せのかけら)」をモットーに。
お配りしてきた名刺に載ってるメールアドレスのあれです。
この言葉。自分の手の届く範囲はこの世界一周をもってしても限界があります。 やれることにも限界があります。
地図の1ピースのように手を繋げるピースは2つや3つ。でもその繋いだピースが次のピースを繋いで繋いで。
気付いたら大きな絵になります。
行動に替えて言うと、道端のゴミを1つ拾うのも、誰か1人を笑わすのも、毎日やったら1年で365個。365人。
10年やったらそれが3650になって、、、
それを見た誰かが「俺もやろう」ってなったら、、
俗にいう「塵も積もれば山となる」ってやつですね。
ついつい世界とか地球とか、自分は大きいことを言ってしまうんですけど、笑
実際自分が作用できる部分なんてほんのわずか。
でも、その欠片が次の人に繋がるように働きかけて次のPiece(欠片)に繋がっていった結果、Peace(平和)ってとても大義なものに繋がるのではないかと思っています。 そして、そうなることが僕の夢です。
今回の旅において安斉の目標は3つ。
1つは個人的に夢である
「世界の国々をまわり、普段美容室に行かない人達、特に子ども達をメインに、美容室帰りの気持ちよさを伝える。」
これはもう、当初の目的であり自分×旅はこれ。
って感じです。
2つ目は「SNS等での発信を通じて、誰かの次のアクションに繋げる。」
これは、美容師さんじゃなくてもです。何か技術がある人がこの活動をみて同じように世界に発信していくきっかけになればと。
そもそも世界じゃなくてもいいです、何かやりたいけど一歩踏み出せないとか、そんな人の背中を押す役目にでもなれたら。
1人でも1つでも次の何かに繋がっていったら、きっとそれが更にその次にも繋がる。
僕が訪れる場所、触れる人はほんのひと握り。
そして3つ目は「ヘアドネーションの認知を広げる」です。
以前ベトナム旅の記事の途中に書きましたが、、
昨年夏頃から安斉は寄付のため髪を伸ばしています。
「ヘアドネーション」という病気や薬の副作用で髪が伸びない方に向けた医療用ウィッグを作るための人毛の寄付です。
自分は旅の間髪をひたすら伸ばし、旅の最後にバッサリ切ってこのヘアドネーションに寄付する予定です。
旅中SNS等を通じて発信をする中で、自分の髪についても触れていきます。
「ヘアドネーション」という言葉がまだまだ多く知られていない今、そこを広げることに貢献できればと考えています。
皆さんもこれ読んだらヘアドネーション、関心持ってくださいね😳笑
そんな大きな3つの目標を胸に、広くて狭い地球をまわってきます!
今日はそんな世界旅のきっかけについてでした(^O^)!