関東圏に住む娘とLINEをしていて「滝汗かいたー」という1文で、どれだけ暑いかが手に取るようにわかった。


「滝のような汗」を短縮して「滝汗」、SNSでは今時期飛び交っている言葉であるのだろうが、私にとっては新鮮な言葉だった。


たまたまそんなことを考えていた同じ日に会った友人もごく自然に「実家の片付けで滝汗かいてきた~」と言ったので、「滝汗かく」はもはや、辞書に載るレベルに定着した言葉のようだ。


汗をかくこと自体は、体温調節に重要な事ではあるのだが、若い女の子にとっては、脇の汗じみが気になるところである。


私のよく着る煉瓦色の半袖のコットンシャツは、汗をかくと濡れたところが濃い色に変色する。脇の下、リュックを背負った背中など、ハッキリと汗をかいているのが色で分かるのだ。

もはや脇の汗じみなどに恥じらいも感じない年齢の私ではあるが、脇はしっかり閉じて人目につかないようにはしている。恥じらいと言うよりは、現代の最低限のマナーだと思うからだ。


昭和の時代には脇汗は、普通の当たり前の事として認識されていたし、そんなに気にする人もいなかったような気がする。

現在は衣服に汗じみが出来ないように防ぐ「脇汗パッド」みたいな商品が開発されて、それを使用する人もいる事を考えると、脇の汗じみが人によっては不快感、不潔感を感じると考えられているのだろう。そう考えると、煉瓦色のシャツを着たオバサンも慎重になる。


ふと、妄想が頭に浮かぶ。

もし、滝汗をかいた私がスーパーなどで滑って、もろ手をあげて転んで、棚の商品が崩れて落ちたりしたら…。

その場にいた人達にはセンセーショナルな出来事である。

そんな滅多にお目にかかれないハプニングは、きっと誰かに話したくなるはずだ。そんな見知らぬAさんとBさんの会話が浮かぶ。


A「このあいだ、スーパーで女の人がひっくり返ってすごかったのよ。ねぇ」

と、相づちを求めるようにBさんを見る。すると思い出したようにBさんが、


B「ああ、あの脇汗のオバサン!」


という話が展開されるはずである。


会話の中で私は「脇汗のオバサン」として登場するはずなのだ。そう考えただけで、恥ずかしい!見知らぬどこかの誰かの口の端に「脇汗のオバサン」等と言われるのは心外だし、何だか不名誉だ。

そんな事態が実際に起こらないとも限らないので、この服を着た時は、脇をしっかり閉じて、滑って転ばないように注意を怠らない。


「汗」は本来頑張っている人の証(あかし)でもある。「汗水垂らして働く」とか、スポーツで汗まみれになっている人は、不潔とも不快とも感じない。むしろ流れる汗は美しい。


汗は体液が表皮に汗腺を通って染み出てきたものだ。こう、文字にしてみると、何だか美しさから遠ざかる。

若い人の汗、オジサンの汗…何故か汗は染み出る個体差によって、汗の印象が変わる。


汗をかいた自分の子供たちだったら、汗まみれも、その匂いも全て愛しいと思えた。


「汗」で思い出す雑誌VOWの1ページがある。VOWは、以前宝島社が発行していた雑誌だが、若い頃よく立ち読みしていた。兎に角私にとっては面白い本で、笑い声をこらえるのが難しく、肩を小刻みに震わせて耐えていた。



下ネタもちりばめられた毒の効いた雑誌なのだが、この中にこんな画像がある。


「長介」と冒頭に出てくるところから察すると、ドリフターズの長介さんが出ていたテレビ画面のワンシーンかと思われるのだが、、皆さんはすんなり「いい汗かこう!」と読まれたでしょうか?汗が汁になっているのです!よこ棒一本無いだけで、微妙な印象に何だか笑っちゃう。

こんな笑える投稿がまとめて読めるこの本、息子が要らないと手放した物を、後生大事に取ってある私なのである。

人生そうそう楽しいことがある訳じゃない。この一冊さえ持っていれば、今後もどんなことがあっても時折笑って暮らせること間違いなし。


汗の話から雑誌の話に着地してしまった(笑)。