1677th  肉の脳の幸せ | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

幸せとはなにかを語りだすと結論は出ません。

結局、個々が幸せと感じるか否かしかないからです。

地上でおもしろおかしく、幸せだけを実感して生きていければ、それ自体は悪いことではないでしょう。

守護霊や指導霊の方々も地上の価値観における不幸を望んでいるわけではないでしょう。

ただ、地上で生きること自体が通常苦悩を伴いますし、地上の価値観は霊的世界の価値観とは全く異なりますので、本人の肉の脳が感じる幸せや不幸せと幽体やあるいは霊体が感じる幸せや不幸せは真逆になることが少なくないのです。

世の中の価値観だけで判断しても、ものごとには必ずメリットとデメリットがあります。

結婚することは良いとか子供が生まれることが良いという価値観がありますが、結婚したからこその不幸や子供が生まれたからこその不幸など山ほどあります。

もちろん、結婚しなかったり、子供が出来なかったことによる不幸も山ほどあります。

結局、どちらに転んでも不幸はあるのです。

しかし、その人生においては、両方の結果を得ることができないので、選択した方が原因で強く不幸を感じるとあの時あーしておけば良かったと考えるだけなのです。

少し前にも書きましたが、僕が自分の人生に対して後悔するところが全くないのは、選択が全て正しいと思っているのではなく、むしろその逆で間違いだらけだったと思うけれども、当時の判断としてそれしかなかったと思うからです。

そして、選択の結果、また次から次へと新しい選択を迫れるわけですから、後悔しても何も変わらないのです。

変わるとしたら、反省すべき点はきちんと反省して、修正するほかありません。

それは、逆にやり続けないと同じような失敗ばかりして、いつか取り返しのつかないような大失敗をしてしまうでしょう。

後悔と反省では本質が全く異なるのです。

後悔だけからは何も生まれませんし、前進することを阻みますが、反省はより正しい方向を模索しながら前進するためにするものです。

まあ、自分自身の現実を考えてみれば、そんなかっこいいことが言えるものではないですし、霊的修行者として、もう少し何とか出来たのではないかと感じることがありますが、後悔という強い感情はありません。

その時、自分が持っていた価値観や執着するなにかがあったはずですから、他の選択は事実上不可能だったと思うのです。

もちろん、自分がコントロールすることが出来ない外的な要因はいくらでもありました。

しかし、それを言ってしまえば、地上に生まれてきたことが自体が問題だとしか言いようがないのです。

そのような霊的カルマを持って、いやそのような霊的カルマがあるからこそ生まれてきているのですから、その部分を言いだしたらキリがありません。

地上に生まれた以上、外的な要因や環境も含めて与えられたものは全てが自分自身の過去の自由意思の結果なのです。

人は常に自由意思を行使して判断するので、未来が最初から確定していることはありません。

しかし、生まれた時点では、過去のいくつもの地上での人生における数え切れないほどの自由意思の行使の結果を背負っているのです。

この本質を否定しても何も始まりません。

過去世のことなど知らないと言ってもどうにもならないところが辛いところなのですが、1秒、1秒、今も結果が生じているのですから、時を戻してやり直すことも出来ません。

結局、常に今この瞬間を受け入れて、その時出来る最善を考え、実行するしかないのです。

肉の脳が霊的な事実を受け入れて、霊的に優先すべきことを優先しながらも肉としての生活をきちんと維持していくというバランスが重要になると思います。

実際に、それ以外にやれることはありません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。 


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