1656th  運命 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

運命というものはあるのでしょうか。

確定した未来がないことはいつも書いています。

それを個人にはてはめれば運命などないことになります。

但し、人が地上に生まれるには理由がありますから、そこから導き出される人生の道筋のようなものがあるようです。

自由意思によって自由に判断して、人生を進めていくのですが、過去世の影響や霊的カルマの問題があるので、このことに関してはこのような状況になるというものはある程度あるようです。

霊的カルマを解消するには、現世においても霊的カルマが生じた時と同じような状況になり、それを乗り越えなければなりません。

しかし、現状では乗り越えるどころか更に霊的カルマを重くして他界する方がほとんどのようです。

霊的カルマを自分だけの力で解消することは現在の地上の状況では無理なようですので、結局禊をやって下さいと申し上げることになります。

ところで、地上では人は肉を着て、地上でのリアリティの中で生きていますから、いろいろな出来事に対して、常に感情が湧き上がります。

仕事の成功や失敗、家庭での成功や失敗、結婚、恋愛、お金、名誉、生きがい、家族、健康、さまざまな要素において、他者と自分を比べて一喜一憂します。

それが地上の人間であり、それが地上という世界の特徴でもあるわけです。

ところが、人は霊魂であり、本来幽質界の存在であるという前提に立って冷静に世の中や自分自身の人生について考えると実はびっくりするようなことが起きているわけではないことに気がつきます。

渦の中にいれば渦が見えないように、その状況に感情がどっぷりと浸かってしまって、自己のコントロールができなくなっているだけのような気がするのです。

もちろん、辛い、苦しいと思う気持ちはリアルなものなので、理屈で割り切って軽くなるものではありません。

また、それがあまりにも強いために霊的カルマを作ってしまうわけです。

人の想念というのは、本当に恐ろしいものです。

ところが、それらの出来事自体は幽質界から眺めてみれば、地上での一つの現象でしかないのです。

死は終わりではありませんし、生存競争や他者への憧れや憎しみというものは全て物質という有限のものからきている感情です。

お金が必要のない世界で、お金の取り合いをする人は誰もいません。

食で満ち足りた人が、他者を殺したり、騙したりして、他者の食べ物を奪おうとはしません。

地上の出来事はその意味で見れば、どんなことであっても馬鹿馬鹿しいの一言で表現されてしまうのです。

しかし、一番恐ろしいのは、その馬鹿馬鹿しい世界の馬鹿馬鹿しい出来事によって、想念が発せられ、その本来何の意味もないことによって、重い重い霊的カルマを作ってしまうことです。

地上に降りた結果と言え、これほど重い十字架はありません。

人に運命があるとしたら、この十字架のことを指すのだと思います。

本来、全く意味のないことで自ら地獄を作り出してしまうというこの本当の、本物の恐怖を知る人はいません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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