1467th  本当の第一歩 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

目に見える天災や人災だけでも日々切迫した状況は感じられますが、霊的な視点に立てばこんなものではないと思います。

どうなると良いかは極めてシンプルではっきりしているのですが、具体的な行動となると今も暗中模索のままです。

戦国時代の武士であれば、切腹してお詫び申し上げますで済むのかも知れませんが、神霊やキリストといった高貴な方々の前で切腹してみても何の意味もありません。

そもそも、霊的世界から見れば、物質界で死ぬと言うことは、アバターから本来の姿に戻るだけのことであって、しかも今死のうが30年後に死のうが何か価値が変るわけではありません。

もし、30年後に死ぬことに価値を見出すとすれば、その30年の間に地上で何を成しえたかということが問題になるだけです。

自由意思の原則はなくならないので、霊的に目覚めなくても、霊的トレーニングをしなくても、そのレベルにふさわしい修行をしなくても何も言われませんし、怒られることもありません。

あちらの世界に行った時に明確な答えが待っているだけです。

そして、それは別に悪いことでもないと思います。

自分がまいた種は自分が刈り取るしかないという現実があり、泣こうが叫ぼうが恨もうが、その事実は永久に変らないということなのです。

僕も切腹してそれで済むのであればそうさせてもらいたいと思うことがありますが、神霊との契約はそのような極めて軽いものではありません。

正しい作法で神伝の法を行うとか、作法を他に漏らさないとか、トオゥ・ライ・シェイの時に静寂さを維持するとか、そんなことはそもそも言うまでもないことで、そのようなことの詳細な部分に拘っていても、より高い力は降りないでしょう。

それらは神霊との契約の当然の前提の話であって、本質ではないと思うのです。

本質が分かっていないと何かのきっかけでとんでもない方向に暴走して、最後は神霊やキリストを侮辱する結果を招くでしょう。

それが肉を持った人間の最大の特徴の一つです。

神霊との契約を果たすにはそれを越えなければ第一歩すら始まらないと思うのは僕だけなのでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。 


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