1422th  本当のことは知りたくない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昨日のブログの内容で誤解があるといけないので、一応一言だけ。

神社同様、昔は役行者が修行をされた霊山であり、実際に高い力が降りていたとしても、今はその逆の状態になっていることがほとんどです。

箕面山も例外ではないでしょう。

修験道の山を再訪したいと書くと、霊的に高い力を得る為に訪問したという意味に捉えれられてしまうかも知れません。

それは、違います。

個人的にはとても気に入った一軒家の民家の隠れ家カフェ(駅近くにある「雅楽(うた)」というお店です。)でお茶したり、普段は支部集会にいらっしゃることが出来ない新会員の方とまたお話が出来たら良いなという意味です。

あしからず。


さて、本題です。

病気だとか自己のルーツの秘密だとか、肉体的にあるいは精神的に人生を大きく変える可能性があることは知りたくないという心理が人にはあるようです。

僕の場合は、なぜか事実を知りたくないということはあまりありませんが、実に頻繫にそのような話を耳にします。

そこで、なぜそれほどまでに事実を知りたくないと感じるのかと考えてみると、要するに受け入れ難い事実は知らないでいたいということなのでしょう。

なんとなくそうかなと思いつつも知ってしまった時の衝撃、精神状態がめちゃくちゃになる不安、対処法が思い浮かばない失望感、そんなことで知りたくないと思われるのではないでしょうか。

人であれば当然の心理だと思います。

ただ、それはそれとしても、やはり事実を知らなければ、必ず状況は悪くなります。

僕も自分にとっての悪い情報を知るのは嫌ですが、知らなければならないと思っています。

あるいは、そのような情報を積極的に得る努力をしなければならないと思っています。

結局、嫌でも何でも、対処しなければ事態は悪化してしまって最終的に打つ手がなくなるというのがいつものパターンですから、それを防ぐ為に嫌でも何でも出来るだけ早い段階で、打てる手を打たなければならないと思うからです。

水波霊魂学を受け入れられないという方の中には、事実を知るのが怖いとか知ってしまったら対処しなければならないから嫌だという方がいらっしゃるのではないかと思います。

あの世を完全否定の方は、情報として耳にしても、興味が無いので頭の仲にまでその情報が入ってこないでしょう。

逆に、もしかしたらあの世があるかも知れないと思っているからこそ知りたくないという方もいらっしゃると思います。

あの世があるかないかは、誰もが死んだ時に分かります。

無ければ、己の存在が無になるだけなのでそれはそれで終わりなのですが、もしあったらどうするのですかという話なのです。

完全否定で無いのに、食べず嫌いで終わってしまって、あの世で後悔するということだけはないようにと願うばかりです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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