1286th  キリストの弟子 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

世間でキリストの弟子というとイエス・キリストの高弟を指すのでしょうが、霊魂学的な視点に立てば、全てのキリストの弟子のことを言うのでしょう。

霊魂学では、イエス師や釈迦師の他にもキリストがいらっしゃるわけですが、そのような方々が地上で実際にどのような活動をされたのか分かりません。

イエス師の場合は、文献が残っていますが、本当のことが書いてあるとは思えませんので、事実と言えるのはそのほんのわずかな部分だけだと思っています。

地上が霊的にデッドエンドに入り込んでどうしようもなくなっている今、神伝の法が地上に示された以上、多くのキリストの弟子であった方々が地上に生まれておられると思います。

個人的には数千人単位でいらっしゃるのではと考えています。

ところが、地上に生まれ、肉を纏うと霊的に目覚めることは大変困難な世の中になってしまっていますので、いったいどれくらいの方が目覚めておられるのか分かりません。

多分、非常に少ないのではないかと思います。

誰がそうで誰がそうでないかは全く分かりませんが、もしご本人がそのことを知ったとするとあまり良いことはないでしょう。

イエス師の弟子だ、ラ・ムー師の弟子だとなると人によっては一気に高慢へと突き進んでしまうからです。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 ねこメット動画 (修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。


キリストの高弟ともなれば、何らかの極めて重要な使命を帯びて地上に生まれた可能性が高いと言えるかも知れませんが、結局は霊的目覚めなかったり、目覚めたとしても道をはずれてしまっては、ミイラ取りがミイラになってしまうだけです。

要は地上での現実的な行動が全てですので、地上に生まれる前どうだったのかなどということは関係ない部分が多いでしょう。

但し、霊的カルマは別ですので、もし仮に他の人の霊的カルマを借りて生まれてきたとしても、ご本人が本来の道を歩まなければ、その霊的カルマに負けてしまうことは少なくないでしょう。

それほど、今、地上に生まれると言うのはリスクが高いとも言えます。

但し、下に入ってしまったために地上に再生するレベルにすら至れないとなれば、もっと良くないので、その意味では今地上に生まれている方はある意味ラッキーなのかも知れません。

とにかく、過去においてどうであろうと今あるのは目の前の現実だけですので、その現実の中で霊的に目覚め、霊的に進歩向上を図り、使命があるのであればそれにまい進しなければ、意味がないということです。

地上は苦悩に満ち溢れています。

今後、地上の人々の苦悩は質も量も極端に増えていくでしょう。

その中でチャンスを掴むか掴まないかは全て自由意思に委ねられています。

動物として行使する自由意思と霊的生命体として行使する自由意思。

霊的生命体であることを肉は認めないからこそ、その自由意思の行使には大きな意味があるのではないでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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