1072th  霊魂学のことを考える時間 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

何度か書いていますが、霊的修行者とは言え、僕も普通の生活をしているわけですから、霊魂学のことを四六時中考えているわけではありませんし、そんなことはやろうとしても出来ません。

しかし、このブログを書くようになってからは霊魂学について考える時間が極端に増えました。

ブログに書く内容は、霊的トレーニングの最中に考えることが多いのですが、もはやマンネリ状態で毎日のように題材を見つけるのに苦労しているため、常に頭の中にそのことが残っています。

現実の生活の中で地上の価値観に押し潰されそうになりながら生きていますので、一瞬でも良いので自分が霊的修行者であることを確認することは良いことだと思っています。

昔のように自暴自棄になりそうになるということはありませんが、地上で生きていると何もかもが嫌になって全てを放り出したくなることが少なくないのですから、そのような確認は必要なのです。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 霊魂学紹介動画(霊魂学1) 霊魂学紹介動画(霊魂学 目に見えない何か) 動画霊魂イエス 動画ムーの大神人守護霊からの手紙 体験ー死後の世界動画 などをご覧になって頂ければと存じます。 


修行と言うものが誰もいない山に籠ってただ毎日霊的トレーニングを繰り返せば良いというものならば、日々の生活を投げ出すのも良いのかもしれませんが、霊的トレーニングだけが修行ではないので、そんなわけにはいかないのです。

とにかく、地上に生まれて、普通の人として生活していく中で修行というものが成り立つわけですから、地上の価値観に嫌悪感を持ちながらも上手く折り合いをつけて生きていかねばなりません。

調整が非常に重要なのですから、それを放棄したら修行にならないわけです。

僕にとって霊魂学のことを考えるということは、すなわち山に籠って晴耕雨読の生活に憧れることを意味するのではなく、霊的修行者としていかにさまざまなことと折り合いをつけて生きていくかを考えることを意味するのです。

「いいことなんか一つもないなあ。」と思いながらも、日々の生活の中で霊的修行者としての歩むべき道を模索していくしかないのです。

具体的に何をすべきか。

時間に流されてしまわぬようにするための防波堤。

それが僕にとってのこのブログということなのかも知れません。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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