地上の価値観における愛とは、高級霊魂や神霊の愛とは全く異質のものであることは何度も書いています。
地上の人は、愛を語りますが、男女の愛は、相手の心を自分だけに縛ってしまいたいと言う独占のための感情ですし、宗教的な愛は、徳を積み善行を重ねることによって、物質界的な救いを求めるものであるので、霊魂学の視点では本物の愛とは言わないのです。
地上の人間は、自分自身の正体も知らずに愛を語るから、偽善に陥ってしまうのでしょう。
肉の身体を着た人間は、自己保存欲、己の肉体の維持が最優先ですから、その事実をしっかりと認識した上でなければ、愛を語っても無意味なのです。
そして、愛と対極にあると考えられている憎しみも実は地上においては、同じものだと言えるようです。
人は、己や家族や親近感を持つ者を他の脅威から守ろうとします。
己の肉体の維持や己の都合による感情が最優先されるので、それを妨害する存在を常に排除しようとします。
肉の身体を着て地上で生活しているのですから当たり前の感情ですが、実はこの守りたいものが他者から破られてしまい、破壊されてしまうと、強い強い憎しみの感情を発するのです。
これは、物凄く強い念となって飛んでいきます。
普通の幽体では大変な傷を負うことになるのです。
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憎しみは地上での愛が壊された時に生じるものですので、愛も憎しみも根っこの部分では同じものなのです。
人が愛を語る時には常に憎しみの種がそこには存在しているのです。
だから、地上の愛は本物ではないのです。
しかし、地上の人間はこの愛と憎しみに常に縛られてしまいます。
それが、苦悩の原因になり、霊的にはお互いにお互いの幽体を傷つけ合って、近い将来には下の世界に落ちる原因となるのです。
地上で生活をしていたことがあり、今は不眠不休食事も労働も必要が無くなり、いわば不死身の怪人になっている邪霊は、このことをよく知っているので、常にこのウィークポイントをついてきます。
ご利益とどん底の不幸を愛と憎しみの感情を巧みに利用して、地上の人々の地上での短い人生を不幸にし、あの世に旅立つ時には必ず下へ落ちるように全知全能を尽くして働きかけるのです。
だから、邪霊から自らの力で自らを守る手段を講じない限り、人は必ず邪霊の罠に陥るのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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