708th  感動的な話 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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感動的な話というのは万人の受けが良いでしょう。

苦労を乗り越えて成功した話や生活の全てを優先してトレーニングをしてオリンピックで金メダルを取った話には多くの方々が感動させられます。

感動すること自体は悪いことではないのですが、これが霊的、宗教的なことになるとちょっと注意が必要です。

何も霊魂学だけに拘らなくても人という霊的生命体が地上に再生された最大の目的である霊的カルマの解消と霊的な進歩向上、特に幽体の成長及び健全化が出来るのであれば、あとは人は思うがまま自由に生きれば良いのです。

自由意思が認められている以上、社会常識やルールを逸脱することがなければ、何をやっても構いませんし、人格者であったり、人徳を積む必要もありません。

そうしたい方はそのようにされれば良いだけのことであって、社会の枠の中で生きているのであればどのような人生を送ろうと批判されたり軽蔑されたりする所以などないのです。

但し、僕が知る限り、そして他の霊的修行者の方々が知る限り、人生の二つの大きなテーマをクリア出来ると思われるのは霊魂学であり、神伝の法であるので、それを実践しているだけなのです。

しかし、霊魂学は霊的な真実を追究するという学問なので、感動的ではない部分が多いかも知れません。

より正確な霊的な事実を探り、それを霊的な進歩向上に活かそうということなので、そこには物質界の人間が感動するかしなかという判断基準は一切ないのです。

僕が知る限り、宗教団体やスピリチャルと呼ばれる何らかの組織は、すぐに感動的な話を伝えたがります。

それは、感動を共有することによって、その教えやら教訓に引き込もうとする意図があるからだと思います。

それらが、霊的な真実を求めるものであれば、それはそれで素晴らしいと思いますが、僕が知る限り、まず組織の存続ありきですので、とても純粋に霊的なものを求める気持ちになることはありませんでした。

霊魂学が真実を語っていると確信している者としては、それを伝えようとすると他の団体や組織の批判につながってしまうことがとても残念なのですが、真実は一つなので致し方ありません。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊的生命体としての人が人生の真の目的向かって歩み始めるには、とにかく、まずご自身の守護霊や指導霊と交流しなければなりません。

これがなければ、何も始まらないのです。

キリストが地上におられない時代に霊的な真実を求めある程度その目的を達した方というのは、守護霊や指導霊の方々と何らかの方法で交流することが出来たのだと思います。

それさえ出来れば、キリストがおられなくても、神伝の法が地上に示されていなくても、霊的な場所や空間というものがいっぱい存在したので、何とかなったのでしょう。

しかし、今は駄目です。

残念ながら自我流では、あまりにも霊的な環境が悪いために、最悪の結果になる可能性があります。

世の中の本やネットで書かれている修行法というものは、危険なものが非常に多くあり、その真偽を見抜くことは不可能に近いからです。

いずれにしても、感動ではなく、事実はどうなのかを求める方が一人でも多く増えてくれればと切に願います。

誰もが感じておられるように、終末云々はともかく、世の中が非常に大きく変化していることはお分かりになると思います。

それが何を意味するのかを考えられた時に、霊魂学をそのヒントとして頂ければ幸いです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。